Short Story

小悪魔のような君

 見慣れぬ天井。
 ここはどこだとあたりを見渡せば、どうやら俺は保健室のベッドの上で寝かさされていたようで、どうしてここに居るのかを思い出す。
「そうだ……」
 そう、あれは昼休みの事だ。食堂に向かう途中で、同級生の月野紫苑(つきのしおん)に呼び止められたんだっけ。
 彼はむさ苦しい男子校の中に咲いた一本の可憐な花。
 可愛くて性格も良く、誰にでも笑顔で接してくれる。彼は学園内のアイドルだ。
 そんな月野が、こともあろうかいたって平凡な俺のことを好きだという。
 一年の二学期頃から俺に付きまとうようになり、恋人にして欲しいと言われが、いくら可愛くても俺は女の子の方が好きだ。
 何度もそう伝えたのに、月野は告白をしてくる。
 しかも、呼び止めた理由は俺に手作りの弁当を渡すためで、流石の俺もその時ばかりはキュンときた。自分の為にそこまでしてくれるなんてって思ったよ。
 だが、中を開けた瞬間、そう思った自分が馬鹿だった。
 弁当箱の中はほぼ茶色の食べ物にプラスお焦げ。しかもゴチャゴチャに詰め込まれており、もう、なんだかすさまじいんだな。
 ヤバイ匂いのする弁当を目の前に突きつけられて俺は胸ヤケをおこす。
「食べて」
 ぎゅっと手を握りしめ、大きな目が俺を見上げる。
 可愛い仕草を見せながらお弁当を俺の方へと押してくる。
「俺さ、今、腹減ってないから後で……」
「5時に起きて作ったんだ」
 くい気味に言い、眩しいばかりの笑顔を俺へと向ける。
 その眩しさから逃れるために目元に手をかざして影を作る。
 これは逃げられそうにない。
「そう、なんだ。朝早くから、わざわざありがとね」
 力なくそういうと、ごくりと唾を飲み込みこんで覚悟を決める。
 箸で茶色いモノを掴み、それを口の中へと入れてひと噛みする。その瞬間、脳天を貫く刺激。
「ふぎゃぁっ」
 予想以上の大打撃。
「どう、美味しいかな?」
 ぎゅっと俺の手を握りしめて月野がそう聞いてくる。が、その声が遠くに聞こえ、視界がぼやける。
「え、ちょっと!」
 正義(せいぎ)クンと呼ぶ声。俺は「せいぎ」じゃなくて「まさよし」って名前だよとツッコミを入れつつ意識を失った。

 まさか食べ物で気絶するなんて。俺の事は月野の親衛隊の誰かが運んでくれたのだろう。
 ベッドから身を起こすが、まだ軽く眩暈がして額に手を当てる。
「具合はどうだ?」
 カーテンが開き、養護教諭の男の先生が顔を覗かせる。
 悲しいかな、ただでさえ潤いのない男子校。せめて保健室の先生くらいは女性であってほしかった。
「はい、なんとか」
「よほど美味かったんだ、月野の弁当」
 顎を撫でながらにやにやとする。完全に面白がっている顔だ。
「あまりの美味しさに気絶したって聞いたぞ」
「はぁ!?」
 好き勝手に言いやがって。あれを食べていないからそんな事が言えるんだ!
 誤解だと言おうとしたところに、
「愛されているな」
 止めの一言。
 ガックリと肩を落とす俺に、先生は笑いながら肩へと手を置いた。

◆…◇…◆

 教室に戻ると、仲の良いクラスメイトである結城(ゆうき)がニヤニヤしながら俺の傍へとやってくる。
「月野の手作り弁当があまりに美味くて気絶したんだってな。噂になっているぞ」
「それ、誤解だから」
 結城は俺が月野の事をどうとも想っていない事を知っている。ありもしない噂のせいで、また胃がむかむかとしてきた。
「あ、紫苑君」
 と、クラスメイトの言葉に反応し、月野の方へ視線を向ける。
「正義クン」
 手を振りながら一直線にこちらへと向かってきて、俺は逃げ出そうとジリジリと後退しはじめるがダメージの残る体は言う事をきいてくれず、勢いよく抱きついてきた彼を受け止めることが出来ずにそのまま尻もちをつく。
「痛てぇ!!」
 かたい床に尾てい骨をおもいきり打ちつけて痛がる俺。
 当の本人はそんな俺を無視して興奮気味に言う。
「嬉しい! 僕の事をお嫁さんにしたいって言ってくれて」
「はぁ、嫁だと!?」
 美味くて気絶したって話から、いつの間に進展したんだ!
「そんな事、ひとことも言っていないぞ」
 と月野を引き離す。
「え、でも」
「大体、結婚できねぇだろう」
 その言葉を聴いた月野の大きな瞳が潤みだす。
「じゃぁ、ウソだったの? 酷いよ、正義クン」
「な、ウソって、だから俺は何も……」
 我慢しきれずあふれ出した涙は頬を伝いぽとぽとと落ちていく。
「僕の心を弄んだんだね」
 人の話を聞かず、止めの一言。
 いや、だから、なんでそうなる訳よ。
「俺、何にも言ってねぇし!」
「正義クンのバカぁ!」
 俺の言葉に被せるように言い放ち、泣きながら立ち去った。
 成り行きを見ていたクラスメイトの一部、そして月野の親衛隊からの突き刺さるような視線を感じ、それでなくとも弁当のダメージが残る俺に、その視線はさらに追い打ちをかけてくる。
「結城、俺、行かなきゃダメかな」
 気が重い。
 嫌々とそう口にすれば、
「あぁ。分が悪い」
 同情的な視線を向け、結城は頑張ってこいと背中を叩いてくる。
 その言葉に俺は小さくうなずいて
「はぁ、しょうがねぇか。行って来るわ」
 と彼の元へと向かった。

 月野追って屋上まできた。月野はフェンス越しに向こうを眺めている。
「月野」
 俺は静かに声をかけると、月野が肩をビクッと震わせる。
「正義クン……」
 様子を窺うように、こちらを向く月野。
 目は泣いたせいで真っ赤になっており、その原因の一部は自分にあるのだ。
「ごめんね、正義クン。僕、勝手に思い込んじゃって」
 月野の瞳が、また潤みだす。
 涙をこらえる姿はあまりにも健気で可愛い。
 また泣かせる事になるかもしれないが、ちゃんと自分の気持ちは伝えておかなければならない。
「俺こそ、ごめん。月野が好意を寄せてくれているのはわかっている。けれど、お前とは付き合えない」
 真剣に。相手の目を真っ直ぐ見つめてそう口にする。
「正義クン」
 今度こそ解って欲しい。そう思っていたのだが、俺は月野の事をなんにも知らなかっのだと思い知らされる事となる。
 くりくりとした目が、一瞬で鋭いモノへとかわり、輝いていた彼の周りが真っ黒に染まったように見える。
「ふぅん、そうなの」
 声まで低くなっているような……。
 俺はおそるおそる、月野に声をかける。
「えっと……、月野」
「君が僕に興味が無いのはわかってた。でも僕はね、欲しいものはどんなことをしても手に入れる主義なんだ」
 そう言うと、月野は俺の頬を両手で包む。
 あぁ、まつ毛長いな、なんてぼんやりと思っていたら、唇に触れる柔らかい感触。
「ん?」
 啄むように口づけられ、俺は驚いて目を見開く。
「やめっ」
 やめろと言いたかったのに、舌が入り込んできて歯列をなでる。
「ふぁ、やっ」
 くちゅっと水音をたて、舌が俺の口内を翻弄していく。
「ん、かわいい、僕の正義クン」
「ふ、あ」
 くそ、なんでこんなに気持ちがいいんだよ!
 自分よりも小さくて華奢な相手を止められないのは、この快楽に抗えないからだ。
 かくっと脚から力が抜け、地面に膝を折る。
 月野は俺を抑え込むように徐々に体重をかけてきて、とうとう押し倒されてしまう。
「うふ、正義クンったら。そんなに僕のキスが気持ちよかったの?」
 つながりあった糸がぷつりときれ、キスに惚けていた俺は我に返る。
「べつに気持ち良くなんて……」
 そんな俺に月野は自分の唇をぺろりと舐め、
「今のキスシーン、写真部がカメラに収めたから」
 と口角を上げる。
「なんだって!!」
「だってさ、いくらウワサを流しても、僕がアタックしてもなびかないんだもん。既成事実作っちゃえばこっちのモンじゃない」
 やられた。
 明日の事を思うと、俺は血の気を失っていく。
「明日が楽しみだね、正義クン」
 そして、月野は俺に跨ったままで、小悪魔的な笑顔で微笑んだ。