Short Story

課長の趣味は

 体を激しく揺さぶられる。
 まだ夢の中へといたいのに相手はそれを許してはくれないようだ。
「うー」
 伸びをしてゆっくりと目を開けば、不機嫌そうな顔が目に入る。
「なぜ、君がいるんだ」
 その顔に驚き体を起こした。抱いていたクマのぬいぐるみはテーブルの上に置かれていた。
「課長を送って、クッションとクマが気持ちよくてそのまま寝てしまいました」
 流石に寝落ちはまずいだろう。
「すみません、すぐに帰ります」
 鞄はどこだとすぐそばを見ればテーブルの下にある。それに手を伸ばすと、
「待て。この部屋を見てなんとも思わないのか?」
 と聞かれた。
「あぁ、ファンシーな部屋ですね」
 色々と気になるところではあるが、聞く勇気はなかった。だから黙っていたのに自分の方からふってくるとは。
 だが、一ノ瀬はその答えに不機嫌になるのではなく驚いている。その反応に万丈まで驚いた。
「えっと、一ノ瀬課長?」
「あぁ、いや、すまん。ひかれると思っていたから」
 どうしてひくことになるのだろう。どんな部屋でも家主がよければそれでいいのではないだろうか。
「お子さんのためですよね。先輩から聞きましたよ。子供と一緒におもちゃ屋にいたと」
「子供、あぁ、だからひかなかったのか。俺は独身だ。それに部屋は俺の趣味だ」
 顔を真っ赤に染めていう。
 俺の趣味、その言葉が頭をめぐる。
「え?」
「だから、これは俺の趣味だ」
 まさか一ノ瀬の趣味だったとは。
「笑いたければ笑うがいい。俺みたいな男が少女趣味だと」
 一ノ瀬が苦しそうな顔をする。知られたくないなかったのだろう。しかも万丈は同じ課の部下なのだ。
「笑いませんよ」
 他人の趣味を笑うなんて、してはいけないことだ。
 それに、会社での一ノ瀬氏か知らなかったので、色々な一面を見れるのは嬉しい。距離が近くなった気がするから。
「そうか」
 気が抜けたか、表情がゆるんだ。それを見てまたもや驚いた。
「意外と、かわいいんですね」
 つい、口に出てしまった言葉に、一ノ瀬の眉間にしわがよる。
「やっぱり馬鹿にしているのか」
「いえ、あっ、これ可愛いですねぇ」
 とテーブルに置かれた大きなくまを手に取る。
「可愛いだろう! 円が誕生日のプレゼントにくれたんだ」
 まどかとは彼女だろうか。一ノ瀬の趣味を知っていてぬいぐるみを贈ったのだから、きっと彼にとって仲の良い存在なのは間違いない。
「いいにおいもしますね」
 フルーツ系の甘い香りがする。
「そうだろう?」
 いつの間にか一ノ瀬もクマに鼻をくっつけていた。
「はぁ、落ち着く」
 意外な距離の近さに俺は驚いて顔を離した。
「ほかのもにおいするんですか?」
「するぞ。日曜に洗ったばかりだから」
 くまから離れうさぎとねこを手にすると顔をはさむ。
 もふっとした感触と意外な行動に目を見開けば、一ノ瀬の口元がほころんでいた。
「こうされると癒されるだろう?」
 確かに柔らかいものに挟まれるのは気持ちがいいが、それよりも万丈は一ノ瀬に釘付けになっていた。
 今日の出来事で、一ノ瀬を見る目がかわった。
「一ノ瀬課長がこんなに癒し系な人だったなんて」
「会社での俺は怖いか」
 本人も気が付いているのか、それなら誤魔化すこともせずに素直に話そうと思いうなずいた。
「いつも眉間にしわが寄ってますよね」
「こんな趣味があるから、子供のころはからかわれたものだ。それからうまく人と接することができなくてな」
 人と目が合うと緊張して顔が強張るそうで、それが万丈や周りからは不機嫌そうに見えたわけだ。
「今は大丈夫みたいですね」
「あぁ。お前が引かずにいてくれたからだ」
 照れる姿に胸がきゅんとした。
「えっ」
 今のは何? 俺は胸に手を置いた。
「どうした」
「いえ。あの、俺帰りますね」
 多分、酒が残っているせい。家で休めばよくなるだろう。
 お暇しようと思ったのに腕をつかまれ引きとめられてしまう。
「え、一ノ瀬課長!?」
「朝食、一緒にどうだ」
 どこかへ食べに行こうと誘っているのだろうか。
 腹も減っていることだし、一緒に食事をしてそのまま帰ろう。
「はい」
「すぐに用意する」
「え、一ノ瀬課長が作るんですか」
「あぁ。一人だし、できるようになった」
 キッチン対面のカウンターには椅子があり、そこに座るように言われて腰を下ろす。
「彼女さんと話をしながら料理をするとか、いいですねぇ」
 まさに今のようにだ。万丈もいつか彼女ができたらこうやって過ごしてみたい。
 ほんわかとした気持ちで一ノ瀬を眺めていたら、
「彼女?」
 そう聞き返される。
「まどかさんのことですよ」
 もしかしたらまだ恋人関係にはなっていないのだろうか。だが随分と親しげに感じる。
「あぁ、そうだったな。俺と円が従兄弟だと知らないか。五十嵐のことだ」
「五十嵐?」
 確か五十嵐の名前は……、
「円!」
 円が彼女ではなく男、しかも五十嵐のことだと知りホッとする。そして、今度はそんな自分に驚いた。
 今日の自分はどうかしている。
「万丈、言いふらさんでくれよな」
「え、あ、はい。わかりました」
 ということは社長とは叔父と甥っ子の関係ということか。
「だから社長の誘いは断れないんですね」
「そういうことだ」
 テーブルに出された料理に、目を見開く。女子力が高い人が作るような料理だ。
 ワンプレートに小さめのおにぎりが三種類、ヒジキ、玉子焼、お漬物、なすとひき肉の炒め物がのっている。
「これが鰹節と昆布を白ゴマ、これが梅・シラス・大葉、これがたらこと鮭だ」
 単品だけでも美味いのに混ぜてあるとかヤバいだろ。
「こんなに用意するの大変だったでしょう」
「ここにくるのは円くらいだからな、嬉しくて。あ、多すぎたか?」
 浮かれる姿にきゅんと胸が鳴る。部屋だけでなく中身も可愛い人なんだろう。
「いえ、余裕です」
「よかった」
 ワンプレート以外にお味噌汁とお茶がある。
「ふぁぁ、赤みそっ」
「万丈の実家って、赤味噌が主流の地域だったよな」
 前にお土産を渡したときに、出身を知り覚えていたのだろう。
 その心遣いが嬉しくて気分が高揚した。
「そうなんです。なめこ、お揚げ、豆腐! 最高です」
 母親が良く作ってくれたなと懐かしく思いながら味噌汁を一口、ほっと息を吐く。
「はぁ、美味いです」
「喜んでもらえて嬉しい」
 隣にもう一つ、万丈が食べているものより少ない量のおかずとご飯を盛ったプレートが置かれる。
 今まで並んで食事をしたことがないので、顔が緩んでしまうので手で頬をふにふにと動かした。
「どうした?」
 隣の席に座りこちらを見ている一ノ瀬に、なんでもないという。
「俺みたいな男が乙女趣味で、今日も、誰かのためにご飯を作れるのが嬉しくて、張り切って……、さすがに引いただろ?」
「なぜです? こんなおいしくてお洒落なご飯を作ってくれて、俺、すごく嬉しくて浮かれているのが顔に出てしまいそうだなと思って頬を弄ってました」
「そうか。それならいいんだ」
 唇がほんのりと綻んでいる。それがかわいらしい。
 美味しいご飯を頂き、しかもお土産だとおかずをタッパーに詰めてくれた。しかもたくさんある。
 自分ではこんなに美味いおかずを作ることはできないのでこれはありがたい。
「多かったら冷凍しておけ」
「はい。ありがとうございます」
「いや、料理は好きなのでな、いつも作りすぎてしまうから助かる」
 もしもここが会社で仕事をしている最中であったら、たくさんあって邪魔だから持って帰れという感じになる。
 だが、今は思う。これが本当の一ノ瀬なんだろうと。それを知ることができてよかった。
「それでは会社で」
「あぁ」
 見送られて部屋を後にする。
 そのまま家へと帰るとおかずの詰まったタッパーを冷蔵庫へと入れる。
 飲み物ばかりの冷蔵庫が一ノ瀬の優しさでいっぱいになる。それを眺めていると温かい気持ちになり口元が緩んだ。
 すると閉め忘れ防止のアラームが鳴り、万丈は慌てて扉を閉めた。