Short Story

俺はオカンじゃありません

 明日は休みとあって、多少の残業も苦にならない。それもそろそろ終わりが見えてきたから余計にだ。
 珈琲を飲み、パソコンを睨みつけること三十分。
「はぁ、終わった」
 大きく伸びをすると、
「お疲れ様、百川(ももかわ)君」
「お疲れ様です、千坂さん」
 隣の席に座るイケメンが笑う。同じ職場の先輩である千坂(ちさか)だ。180センチある百川よりも拳一個分くらい身長が低く、バランスの取れた体格と容姿をしている。
 姿勢の悪い百川には、背筋を伸ばし堂々としている千坂のことをかっこよく思っていた。
 そう、二か月前、千坂のだらしなさを知るまでは。
「なぁ、俺の部屋を掃除しにきてくれないか」
 と手を合わせる。
「はぁ、わかりました」
 土曜日に千坂の部屋へと行き、掃除と洗濯物をする。
 これではまるで母親だ。そう思いつつも、なぜか断れない自分がいる。

 その日は珍しく合コンに千坂が参加した。
 いつもは声をかけても参加しないのに珍しい、そう思いながら一緒に待ち合わせの場所へと向かった。
 千坂がいたら結果どうなるか、なんとなくわかっていたけれど、見事に女子の視線を奪っていく。
 百川は背は高いが特に顔がいいわけでもない。声を掛けられることなどないだろう。帰ろうとしていたら千坂に声を掛けられた。
 誰かをお持ち帰りするのかと思っていたのに、目の前にいるのは千坂のみだ。
「あれ、千坂さん、女の子は?」
「ん、今日は百田と飲みたい気分なんだよ」
 と背中をたたく。
「えぇ、もったいない」
 俺なら絶対に断らないだろう。だが、千坂は男前ゆえに女性に困っていないのだろう。羨ましい限りだ。
「ほら、飲むぞ」
「はい」
 共に向かったのは小さな居酒屋だ。
「ここ、唐揚げが美味いんだって」
「唐揚げですか。いいですね」
 百川が鶏料理が好きなことを知っていて連れてきてくれたのだろうか。
 中に入るとカウンター席のみで、座ってビールと唐揚げで乾杯をする。
「はぁ。やっとゆっくり飲める」
 思えば合コンの間、千坂さんは酒をあまり飲んでいなかった。
「どうしてあまり飲まなかったんですか?」
「あ……、まぁ、すぐにわかるよ」
 どういうことだろうと思っていたが、その答えはすぐに知ることとなった。
「なるほど、酒は好きだけど酔いやすいタイプなんですね、千坂さんって」
 唐揚げは聞いた通り、すごく美味かった。そのせいもあり酒が進んだ。
 そして酔っ払いが一人、出来上がったわけだ。
「すみません、お勘定」
「はぁい」
 会計をすまし、店を出るとタクシーに乗り込む。
「千坂さん、住所」
「ふぁぁ、〇〇〇、××……」
 ふにゃふにゃになりつつも住所を伝えタクシーが走り出す。
 部屋の前にくると自分の体を叩き、鍵が見つからないと鞄の中を外でぶちまける。
「ちょっと、ここ外ですよ。俺が探しますから」
 スマホのライトをつけて鍵を探すと鞄の中身を拾って突っ込む。
「鍵、俺が開けても?」
「お願い」
 カギ穴に差し込むと開錠してドアを開ける。
「開きました……、ひっ」
 真っ先に目に入ったのは大量のごみ袋。
 そして廊下に点々と置かれた衣類。恐る恐る上へと上がりリビングへと向かうと、目の前には汚部屋があった。
「汚なっ」
 思わず口に出てしまった。
「百川ぁ」
「千坂さん、なんです、この部屋」
「んん? 男の部屋ってかんじだろ~」
 いや、男だからと部屋が汚いとは限らない。百川はきちんと掃除をしている。
「それ、偏見です。とにかく、寝室は」
「奥」
 指をさす方へと歩きドアを開くと、大きなベッドに服が散乱していた。
「ここもか!」
 ひとまず服の上でもかまわずに寝かしつける。
 なんとか千坂さんの下敷きにならずに済んだ服を抱え込んで床へ一塊にしておく。
「百川、みずぅ」
「はい、今持ってきます」
 台所へと向かうと、ここだけは綺麗だった。というか、冷蔵庫やレンジ以外は使っていないかんじだ。
 水を取り出して寝室へと持っていく。
「千坂さん、水です」
「ん」
 身を起こし、それを口に含む。
「ももかわぁ」
「はい?」
 そしてなぜか口移しで水を飲まされた。
「ふぐっ」
 水が入り込み、口の端から垂れていく。
「こら、垂らすな」
 とそれをなめとり、そして口づけをされた。
「んっ、らめ」
 舌が絡み、息が上がる。
「千坂さん」
「可愛いな、お前」
 と再びキスをする。
「千坂さんっ」
 ぐったりとする百川をよそに千坂は気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
「な、この酔っ払い」
 キス魔になるとは最悪だ。そして、自分の下半身を見てがっくりと肩を落とす。
「なんでたつかなぁ……」
 キスが気持ち良かったと認めたくない。だが、下半身は正直だった。
 トイレで抜いた後、ベッドの傍に腰を下ろした。

 結局、スッキリしたこともあり、そのまま寝落ちてしまったようだ。朝起きたら身体が痛かった。
 ベッドの上では気持ちよさそうに千坂が寝ている。
 帰るにもカギを閉めないのは不用心だしと、起きるまで掃除をして待つことにした。
 寝室にある洋服はすべてたたんでおいておき、リビングのごみと、テーブルに置かれたままのペットボトルや缶をキッチンへもっていき、雑誌類をまとめる。
「腹減った」
 冷蔵庫の中を調べたが飲み物しか入っていないし冷凍食品もない。帰るにしても千坂を起こさねばならない。
「千坂さん、起きてください」
 身体を揺さぶると唸り声をあげうっすらと目を開ける。
「あ、千坂さん」
 顔を近づけると、腕が伸びてきて押さえつけられてしまう。
「ちょっと千坂さん、寝ぼけてないで起きてくださいよ」
 軽く数回、腕を叩くと、ぼんやりとした目がこちらに向けられる。
「あ……、ももかわ?」
 寝起きまで色男だなと心の中でぼやく。
「そうですよ。起きてください」
「えっ」
 腕が離れて、百川が千坂から離れるとベッドに正座をし、
「ごめん、やらかした」
 と頭を下げた。どうやら酔っぱらっていても何をしたか覚えていたらしい。
「酔ってましたからね」
 呆れつつ、そう口にすると千坂さんがへらりと笑う。
「部屋、汚くて驚いただろ?」
 引いたかと聞かれて、百川は素直にうなずいた。
「だよな」
「はい。なので軽く掃除しておきましたよ」
「え、まじで」
 ベッドからおり、寝室を眺め、そしてリビングへと向かう。
「おお、綺麗になってる」
 凄いなと言われ、逆にあれだけ汚せる方がすごい。
「ゴミを袋に入れて、雑誌や本をまとめ、食器を洗っただけです。あの、後は自分でやってくださいね。俺、帰りますんで」
 上着と鞄を持ち、玄関へ向かおうとすると腕をつかまれ引きとめられる。
「まて。飯、おごるからさ、もう少しだけ手伝ってくれない?」
 お願いと手を合わせて首を傾げる。
 かっこいい男性に甘えられて女子なら喜ぶだろうなと思いながら、普段お世話になっている先輩なので、いいですよと頷いた。
「よし。それならまずは飯か」
「あの、掃除機と洗濯ものだしてください。俺が掃除している間、適当に食うもの買ってきてもらえます?」
「わかった。掃除機はバスルームにある。洗濯物はこれ全部」
 散らばっていた服は一応ひとまとめにしておいたのだが、全部、洗濯物だったのか。あの部屋を見た後だからか、やっぱりな思うだけだった。
「わかりました。俺、腹減っているんで急いで行ってきてくださいね」
 千坂を追い出し、洗濯を開始し、掃除機をかける。
 テーブルや棚はウェットティッシュで拭き、フローリングモップで床を拭いた。
 夢中で掃除をしていたのでどれだけ時間がたったか気が付かなかった。
「お、綺麗になった」
 との声に我にかえる。
「おかえりなさい」
 しゃがんで床を掃除していたので千坂が手にしている袋が丁度目の前にあり、そこから良いにおいがしてきた。
「パンですか?」
「そう。近くにパン屋があってさ、焼き立ての生食パン」
 少し時間がかかったのは焼き上がりを待っていたそうだ。
「そのまま食うのが美味いって。ほら、食おうぜ」
 一本、袋の中から取り出すと半分にわけた。
「ほら。牛乳もあるぞ」
 パックの牛乳が二つ。
「いつもこうなんですか」
「ん? パンはあんまり食わないかな」
 そういうことを聞いているのではない。
 パンをかじる千坂を見ていたらなんだか可笑しくなってきた。
「くっ、あははは」
 笑う百川に、千坂がむっつり顔で見ていた。
「いや、だって、パンを半分にちぎって紙袋の上に置くとか、ありえないでしょ」
「はぁ? 別に皿なんていらねぇだろ」
「いるでしょ。俺は一口大に手でちぎって食いたいんです」
 立ち上がって戸棚から皿を二枚取り出す。
「はい」
「いらねぇし」
 パンを両手で持ったまま食べていく。
「そういえば、お前、男にキスされて平気なの?」
「いや、キス自体、滅多にできないんで」
 まぁ、できることなら女子の方がいいけれど、千坂さんとのキスは気持ちよかった。
「そっか」
 で、このタイミングでキスをする理由がわからない。
「……なんなんです?」
「可愛そうだなって」
 千坂がしたり顔で笑う。むかつくけれど、なぜか嫌な気がしない。
 パンをちぎって口の中へと入れる。ほんのりと甘いパンは千坂と交わしたキスと同じ味だった。