小さな食堂

出かけるための服

 役所の窓口業務は一七時になると終わる。その後は一日分の処理内容の確認となる。
「息子の定期テスト、今日までなのよねぇ」
 河北が知っていることを承知の上で口にする。どうせ、利久がテスト勉強の合間に会いに来たこともわかっているのだ。
「へぇ。うちの息子は来週からだよ」
 そうはぐらかすと背中を強くたたかれた。
「いたぁ、馬鹿力」
「河北君と遊ぶ約束をしたんだって嬉しそうだったよぉ」
「そう、なんだ」
 何を想像しているのやら。にやにやとする南を冷ややかに見つめる。
「ちょっとそんな目で見ないでよ。我が子の幸せを願う親心なのに」
 いや違うだろう。学生の頃に少女漫画を読みながらキュンキュンとしていた南だ。漫画のような恋愛をしてみたいとかよく言っていた。
「ともかく。僕達のことは放っといてくれないかなぁ」
 今ならわかる。英知が彼女のことを聞きたがるのを鬱陶しそうにしていたことが。
「むふっ、わかったわ」
 やたらと楽しそうな南に嫌な予感しかしない。
 きっと利久に根掘り葉掘り聞き出すだろうから先にくぎを打っておく。
「利久君に聞くのは駄目だからね」
「はーい。でもぉ、息子が話してきたらしょうがないよね。ね?」
 きっと利久は南に話してしまうだろう。利久にも口止めをしておかないといけないだろう。

 一八時に退勤となり、役所を出ると鞄の中に入れておいたスマートフォンを手にする。
 利久からメールが届いており、
<明日、九時に迎えに行きます>
 とあった。
「服、あったかな」
 お洒落に無頓着な河北のタンスにはよれよれな服しかなかった気がする。
 家に帰る前に佐賀野《さがの》が営むブティックへと向かうことにした。
 彼と知り合ったのは沖の店で、自分より二つ上で互いに妻を早くに亡くしたこともあって親しくなるのは早かった。
「河北ちゃんいらっしゃい」
 ひらひらと手を振り出迎えてくれる。
「どうも。佐賀野さんに服を見立ててもらおうかなって」
「あれれ、もしかして利久君とデートかなぁ」
「即バレかよ」
 甘ったるい顔をニヤニヤとさせている。彼は同年代の自分から見てもカッコいい。服装は洒落ているしおまけに顔もいい。
 少々、かるいところがあるが、それすら佐賀野の魅力と化していた。
「デートじゃなくて遊びに行くだけだよ。まったく、こんなおじさんと遊んだって楽しくないのにね」
「そうじゃないんだな。利久君にとって河北ちゃんとどこかいくというのに意味があるんだよ」
 利久にしてみたらその通りなのかもしれない。だからこんな自分を誘うのだ。
「そうだね。利久君に少しでもかっこよく見られるように素敵な服を選んでね」
「任しときな。最高にいい男にしてあげるよ」
 そういうと服を何点か選んで鏡越しに河北に当てる。
「河北ちゃんって可愛いと思うんだけどな」
「えぇっ。カピバラみたいとは言われたことがあるけれど、可愛いはないよ」
 のほほんとしているせいか、若い女の子にゆずのジュースを手渡されて言われたことがある。
 温泉につかるカピバラじゃないよって返しておいたけれど。
「カピバラ、可愛いじゃないの」
「そうかなぁ。大きいよね、カピバラって」
「あはは。可愛いサイズの子もいるよ。んー、こっちもいいね」
 襟が少々長めな気がするが、佐賀野のように関節のあたりまで袖をあげて着るのだろうか。
「だぼだぼっとした袖の河北ちゃんを見たら、利久君の理性持つかな……」
 佐賀野が真剣な表情を浮かべる。女の子なら可愛いかもしれないが中味はおじさんだ。気持ち悪いと思われてしまうだろう。
「佐賀野さん、これは着ないからね」
「えぇっ。絶対に喜ぶよ」
「僕はこっちが気に入ったよ」
 もう一つの方は自分くらいの歳の人が着てもおかしくないし、しかもセンスが良い組み合わせだ。
「だよねぇ。俺も似合うと思っちゃったもん。でもこれも似合うよ。だから買ってって」
 そんなに勧めるのならと相談に乗ってもらったお礼もこめてそちらも購入することにした。
 タンスの肥やしになってしまうかもしれないが。
「河北ちゃん楽しんできてね」
「はい。また駿ちゃんの店で」
「うん、またね」
 店を出ると車に乗り込み家へと向かう。
 買った服はハンガーに掛けておき、いつものよれよれな服へと袖を通す。
 やはり自分に似合うのはこれだ。
「ふ、こんな僕のどこを好きになったんだろうね、利久君は」
 利久が見ているのは河北自身だろう。よれよれな服を着ていても好きだと言えるのだから。
 せめて明日は利久に恥をかかせぬように。新しい服を撫でてぽんと叩くと沖の店へと行くために財布をもって部屋を出た。