小さな食堂

佐木の話

 男の子がゴツイ男達に囲まれてオレンジジュースを飲んでいる。たしか、迷子は生活安全課じゃなかったけかと思いながら佐木トオルの相棒である郷田(ごうだ)の隣に立つ。
「この子、どうしたの?」
「近くの名門小に通う子で、佐木さんに会いにきたそうです」
 白いシャツに半ズボン、頭には黒いベレー帽をかぶっていて、鞄にはその小学校を示すマークが描かれている。
 どうしてここにいるのだろうと思いながら視線を合わせるためにしゃがみこむ。
「待たせたな」
「あ、さきさん!」
 この子供は佐木のことを知っているようだが、自分の知り合いにはその学校に通う子はいない。
 だが、佐木の顔を見た瞬間、元気のない表情が明るくなる。
 ごつい大人に囲まれていたのだ。刑事だと解っていても不安を感じていたのだろう。
 それにしても、どうして佐木のことを知っているのだろう。名前だけでなく顔もだ。
「えっと、君は?」
 名を尋ねれば、男の子はカバンから何かを取り出して差し出す。
「しゃしん」
 そこに写っているのは一カ月前の同窓会。隣には同じ位の背丈をしたスーツ姿の男前がいる。
 名は阿部雅一(あべまさかず)。今は弁護士をしている。
「あ、もしかして」
 あの日、小学校一年生の子供がいると聞いていた。確か名は……。
「あべけいです」
「そうだ、恵君だったね。阿部から聞いているよ」
 仕事の話から子供の話になり、恵の通っている小学から署が近いと知り、何かあった時は頼むと話していた。
 もしかその話を恵にしていたのなら、何かあったのだろうか。
「恵君、何かあったのか?」
「さきさん、おとうさんをすてないで!」
 恵の声が刑事課に響く。
「……は?」
 その言葉を聞いた途端、周りにいた大人達がざわついた。
 いや、一人だけは盛大に吹いていた。
「え、ちょ、何を言って、班長、笑い過ぎ!!」
「いや、だってよ、女っ気ねぇなって思っていたら、男かよ」
 ゲラゲラと笑いながら背中をおもいきり叩かれる。
「違いますって。恵君、誰かと間違ってない?」
 阿部と会ったのは云十年ぶりだし、そういう関係になったことなどない。
「おとうさんが『いかないでさきっ』ていってたから」
「行かないでって、なんだよ、それ……」
 なんと誤解を招く言い方をするだ。あの野郎と頭の中で思いながら頭を乱暴に掻く。
 あの時、名刺を交換して別れた。恵が泣きそうな顔をしながら生徒手帳からそれを取り出した。
 その裏には誰だか解るようにと写真まで貼りつけてある。
 だからその相手が佐木だということがわかったのだろう。
「おい、佐木よ。困っている人を見つけたら助けるのが仕事。OK?」
 完全に面白がっている。がっくりと肩を落としながら、恨めしく西久保を見る。
「ほら、行って来い」
 追いやるように手で払われる。
「わかりましたよ。恵君、行こう」
「うん」
 阿部は三年間同じクラスで、頭が良くてテスト前になると勉強を教わったものだ。
 自分は警察学校へと行き、阿部は超難関大学に合格した。卒業後は別の道へと向かうこととなった。
 たしか、今は弁護士をしていると同窓会の時に名刺を交換し合った。
「で、お父さん、どうしたんだい?」
「ねつがあって、くるしそうなの」
「そうか。だから俺の所に?」
「うん」
 一人で息子を育てているといっていた。しかも病院へと行けないほどすごい熱なのか。
 恵は父親を心配して、会ったこともない自分を訪ねてきたのだろう。
「頑張ったな」
 と肩に手を置く。
「おとうさんはボクがまもるんだ」
「そうだな」
 イイ子に育てたなと阿部のことを思い浮かべる。
「よし、急いで帰ろう」
「うん!」
 手を繋ぎ、阿部の家へと向かう。
 向かった先はマンションが建ち並ぶ場所で、一階は喫茶店、二階は弁護士事務所となっている。
「ここか」
「うん。ここのよんかい」
 手を引かれ、エレベーターに乗り込み四階へ。玄関の鍵を開けて中へと入る。
 そして 、そのまま寝室へと連れていかれ、ベッドに横になる阿部の姿が目に入る。
「おい、大丈夫か」
「え、その声は佐木!?」
 まさかここに佐木がいるとは思わなかったのだろう。声をあげて起き上がる。
「どうして」
 ベッドから降りようとするのは止め、ここに来た理由を話す。
「恵君が心配して俺を訪ねてきたんだ。熱があるんだってな」
「そうか。恵、心配かけたね」
「うんん。おとうさん、さきさんをつれてきたよ。だからよくなって」
 ぎゅっと阿部に抱きつく恵を優しく撫でる。
 父親のために一生懸命な恵に、佐木はじんと胸が熱くなった。
「まったく。可愛い息子に心配かけて。お前のことだから無理をしたんだろう」
 昔からそういうところがあり、寝不足なんだと昼休みに肩を貸してほしいと何度か頼まれたことがある。
「はは、佐木にはバレるな」
「で、今、調子はどうだ」
「薬が効いて楽になってきた」
 サイドテーブルに手を伸ばし眼鏡をとってかける。
 ふっと、そこに飾られているのは高校生の時とこの前の同窓会での写真が目に入る。寝室に友達の写真を飾るものなのだろうか。
「なんでこんなモン飾ってんだよ。恥ずかしいだろ」
 指で写真立てを弾くと、
「これか。せめて写真だけでもと思って」
 それを手に取り眺める。
「どういうことだよ」
 久しぶりに会ったから懐かしい気持ちはわかるが、自分よりも家族の写真だろうと思う。
「お前に会えたから、その記念」
 愛おしむようにそれを見つめていて、胸がどきっと跳ね上がった。
 ちょっとまってくれと心の中でつっこむ。その顔はおかしいだろう。そう、それはまるで……。
「ずっと好きだった。警察学校に入るお前の邪魔はしたくはなかったから卒業式には想いを告げないでいたら、こんな年になってた」
 さらっと告白をされ、佐木は頭を抱える。
 やはりそういうことだった。
「いやいやいや、お前、結婚してるだろう? よく俺のことが好きとか言えるよな」
 弁護士になって、結局は女性を選んで恵という可愛い息子もできたのだ。
 だがそれに対して阿部は口元に笑みを浮かべて答えなかった。
「もしかして……」
 離婚をしたのかと口にしそうになり、途中で話を止める。
「佐木、まだ仕事中だよね。俺は大丈夫だから。妹が同じマンションに住んでいるし」
 阿部もその話はしたくないようで話題をかえた。
「そうか。それじゃ、帰るかな」
 佐木がいなくても大丈夫そうなのでお暇をしようとするが、恵が佐木の手を握りしめて行かないでと首を振るう。
「お父さんのこと、きらい?」
 そうだった。阿部の「いかないで」発言が、恵にへんな誤解をあたえていた。
「恵、それって」
「その件については後でな。ひとまず俺は仕事に戻るから」
 また来るからというと、恵が嬉しそうにうなずいた。
 可愛いなと口元を綻ばすと、袖を引っ張られて阿部の方へ顔を向ける。
「きてくれるのか」
「あぁ。このまま何もなければ寄るわ」
 事件が起これば現場に向かうことになるから約束はできない。それは阿部も解っているだろう。
「まっている」
 そうふわりと笑う。
 高校の時から何か揉めごとがあると、仲裁にはいるのが佐木と阿部の役目だった。
 阿部の柔らかい笑みはイラつく心を和ませる効果があるようで、言い争いがピタリととまる。
 周りで見ていたものにまでそれが影響する。佐木もまたその中の一人だった。
「お前、その顔はずるい」
「えぇ?」
 本人だけはわからないから、どういう顔だよと苦笑いする。だが、それには答えず、
「またな」
 と玄関まで送ってくれた恵の頭を撫で部屋を出た。

 署に戻ると西久保がニヤニヤとこちらを見ていた。
「班長、にやにやするようなことは何もないですからね」
 何か言われる前にそう口にすると、
「先輩、うまくいったようですね」
 横から郷田にそういわれて、両肩を強くつかむ。
「郷田、班長にもいったけれど……」
「佐木さん、楽しそうな顔をしてました」
 言葉の途中でそういわれてしまう。
「は、なんだって?」
 そんな顔をしていたのか。
「冗談でしょ」
 自分の顔に触れ、そして席に腰掛けると顔を伏せた。
 そう、佐木は機嫌がよかった。
 阿部と会えたから。恵が可愛いから、また家に行く口実ができたから……。
(あぁ、そういうことか。また会いたいんだ、俺)
 阿部の柔らかい笑みを見て、懐かしい気持ちになったから。
「佐木さん?」
「そうだよ、俺はすごく機嫌がいい。だって、あいつは俺の自慢の友達だからな」
 そういうことです、と、西久保に言うと、
「そうか。友達は大切にしろよ」
 自分達を子供のように可愛がってくれる西久保は、そう大声で笑い背中をおもいきり叩いた。
「叩くの強すぎですって班長」
 照れるのを隠すように大げさに痛がると、それに気が付いた西久保は楽しそうに笑い、
「さてと、お前ら、裏付けいってこい」
 と佐木と郷田を送り出した。

※※※

 二度目の訪問は九時半を過ぎていた。かえって迷惑になるのではと思いながらも足は阿部の家へと向いていた。
 しかも途中でコンビニに寄り、自分の弁当以外に二人にと買っていた。
 チャイムを鳴らすと恵が迎え入れてくれた。
「ごめんな、遅くに」
「うんん。おふろにはいってしゅくだいしてた」
 部屋に入ると阿部がソファーに座っていて、いらっしゃいと声を掛ける。
「お前、起きていていいのかよ」
「さっきまで妹がきていたから起きていたんだ。ところでご飯は?」
「弁当買ってきたから。後、お前にお粥とスポーツドリンク。恵君にプリンを買ったんだけど、必要なかったな」
 妹が来ていたのなら食事は用意してくれただろうし、ドリンク類も買ってあるだろう。
「いや、嬉しいよ。ありがとう」
 袋を受け取り、プリンを取り出して恵に手渡す。
「恵、プリンを貰ったよ。よかったな」
「うん! ありがとう、さきさん」
 嬉しそうに両手でそれを受け取って、冷やしてくるねと部屋を出る。
「本当、来てくれてありがとう」
 嬉しさを隠そうとしない。告白される前ならへんに意識などしなかったのに。頬が熱くなるのはそのせいだ。
「さきさん、あした、おやすみ?」
 恵が部屋に戻ってきて佐木の隣へと座った。
 明日は土曜日で何事もなければ休みとなる。
「あぁ」
「じゃぁ、おうちにとまっていってよ」
 ね、と恵が阿部に言う。
「そうだな。佐木さえよければ」
「実はさ、そのつもりでシャツとパンツを買ってきた」
 大人が一人いれば恵も安心だろう。けして好きだと言われたからじゃないと自分に言い訳をする。
「やった!」
 はしゃぐ恵が可愛くて心が和む。ふ、と、視線を感じてそちらを見れば阿部が嬉しそうに目を細めて佐木を見ていた。
「なに見てんだよ」
 照れを隠すように乱暴に言うと、
「いやぁ、佐木は優しいなって」
 と口元に笑みをうかべる。
「てめぇっ」
 顔が熱い。悔しい、阿部にしてやられた。
「さっさと寝ろ!」
 寝室を指さすと、
「恵。そろそろ寝る時間だよ」
 恵のほうを向き、肩を抱いて部屋へと行くように促す。
「えぇ、もう少しだけ」
 佐木の側にきて手を握りしめられた。
 ちらっと佐木を見る恵の表情は、一緒にいたいといっている。
「うっ」
 慕われるのはうれしい。だが、佐木は恵の頭を撫でて、
「お休み、恵君」
 と口にすると、お休みと言ってしょんぼりとしながら部屋へと戻っていった。
「ほら、お前も休め」
 次は阿部の番だ。恵のためにも身体を休めて治すことに専念すべきだが阿部は動こうとしない。
「阿部」
「食事が終わるまで、話をしてもいいか?」
 と真剣な表情を浮かべた。きっと大切な話をする。それを感じたから了承した。
「恵のことなんだ」
「あぁ。お前、離婚したのか?」
「いや。恵は俺ではなく姉の子なんだ」
 阿部の姉は離婚して、息子の恵を連れ実家に戻ってきた。旦那の浮気が原因だったそうだ。
 両親は二人を温かく迎え入れた。それから新生活がスタートする。
 恵のためにとたくさん働いた。それでも休みになると普段寂しくさせている分、色々な場所へと連れて行った。
 その日は晴天で風も穏やかで、遊びに行くのには最高だった。一泊二日で東北へと両親と共に出かけたのだが、悪質なドライバーに絡まれ、そして進路妨害をされて事故がおきた。
 父親と姉は即死、母親は重軽傷を負い病院で亡くなった。まだ赤子であった恵は姉が守り軽傷で済んだ。
 地検は、危険運転致死傷罪などで起訴。地裁は懲役18年を言い渡す。罪を犯した男は服役中だ。
「そんなことがあったのか」
 全然知らなかった。久しぶりに会った時だって何も話さなかったから、結婚して幸せに暮らしているのだと思っていた。
 わかっている。話したところでどうにかなるわけではない。阿部の心が苦しくなるだけだということは。
 ただ、友達だと思っていたから勝手にショックを受けているだけだ。
「やっぱりそんな顔をさせてしまったな」
 手が頬に触れて親指で優しくなでられる。
「わるい」
「でも、俺はそういう所も好きなんだ」
 阿部が肩に頭を乗せる。
「阿部、お前、そろそろ寝ろ」
 胸の鼓動が跳ね、佐木は阿部の頭をつかんで引き離す。
「気持ちは本当だからな。覚えておいてくれ」
 と胸をトンと叩かれた。
「……わかった」
 この気持ちに嘘はない。それは目を見たらわかる。
「まいった。悪い気がしないんだよな」
 この頃、忙しさもあり恋愛ごとから遠ざかっていた。それだけに余計に思ってしまうのだろう。
 もともと阿部のことは好きだ。ただ、同性だから、友達だからとそれ以上に見ることはなかっただけ。
 別の見方で阿部を見たら、自分の気持ちはどうなるだろう。それを知りたい。
「は、なんだよ、もう答えが出たじゃん」
 明日、思いを告げたら阿部はどんな顔をするだろう。
 頭の中で浮かぶ表情。それが見れたらきっと彼を抱きしめるだろう。