寂しがりやの君

勝利のキス

 本当の気持ちを伝える。電話ではだめだ。直接本人を前にして伝えなければ届かない。
 呼び出し音が一つ鳴るごとに緊張度が増していく気がする。
『秀次、ごめん。すぐに出られなくて』
「おう……」
 つながった。だが緊張で頭が真っ白になってしまった。
『なんだ、連絡先を間違えたのか?』
「まち、がって、ねぇよ」
 噛みそうになったがなんとかそう言えた。後は会いたいと伝えるだけ。
 だがそれを先に口にしたのは田中ではなく橋沼だった。
「なぁ、部活が終わるまで待っていてくれないか。一緒に帰りたい」
「おう、待ってる」
 橋沼の部活が終わってから会う約束を取り付けることができた。

 美術室へと向かうが中には誰の姿もない。
 橋沼の名を呼ぶと別の場所から返事があり、ベランダを覗くとそこに彼の姿がある。
「はじめて秀次にあったのはこの場所だった」
 あの日、ここで橋沼とブニャとに出会ったんだ。顔に煮干しを落とされたなと小さく笑う。
「一緒に弁当を食べるようになって、俺にとって昼休みは特別な時間になった」
「俺だって、そうだ。教室に居づらくて、ここでブニャに会って、総一さんと昼を過ごせるようになった。楽しくて……」
 橋沼が田中の手をつかみ、美術室へと向かう。そして立ち止まると抱きしめられた。
「なあ、どうやったら俺を好きになってくれる?」
 恋愛のほうでといわれて、ずっと待たせていたことに「ごめん」と謝る。
「男同士だからか」
 と返されて勘違いをしていることに気が付いた。そういう意味でいったわけじゃない。
 いいなおそうとするけれど橋沼の言葉がそれをさえぎる。
「いや、そもそも俺がダメなのか」
 そんなことはない。こんなに優しくて素敵な人はいない。
「秀次」
 橋沼が不安そうに顔を覗き込む。
「俺さ、臆病者なんだよ。周りの目とか気にしてさ。だから恋愛は無理――」
「恋人が駄目なら友達でいいから、側にいてほしい」
 最後まで言い終わる前に橋沼の言葉が重なり、田中は息を吐く。
「あのさ、俺の話を最後まで聞いてくれねぇ?」
「あ、すまん」
 体が離れて、橋沼が傷ついた顔をしている。勘違いをしているのだろう。
 田中は橋沼の頬へと手を当てて、
「男同士だなんて変な目でみられるんだろうって、だから無理だと思ってたんだけどさ、総一さんが側にいない人生なんて考えられねぇって」
「それは……」
 悲しそうな顔をしていたのに、その言葉を聞いた途端に期待をする目となる。
 待っている。田中が発する橋沼が一番ほしい言葉を。
 喜ぶ顔がみたい、どき、どき、と胸の鼓動がいつも以上に煩く騒ぐ。
 これ以上騒がれると言葉がでてこない。それを押さえるようにシャツをつかむ。
「俺の恋人に、なって、ほしい」
「秀次、よく言えたなぁ」
 その言葉を待っていたと、橋沼に頭を抱きしめられた。
「ちょ、総一さん、苦しい」
 緩めてほしくて背中を叩くと抱きしめる腕が緩んだ。
 目的であった喜ぶ顔は近い距離でみられた。
「その顔をみたかったんだ」
「そうか。好きなだけみていいぞ」
 互いの額がくっついて、橋沼が小さく笑った。
「なぁ、これから先、何があっても側にいてくれると誓ってくれるか?」
 互いの指を絡ませて誓いの言葉だなんて、まるで結婚式のようだ。
「指輪があれば、まんまだな」
 と田中が呟けば、
「指輪はないけれど」
 橋沼がポケットの中から赤のペンを取り出し、ふたりの小指にぐるりと円を描いた。
「運命の赤い糸、なんてな」
「ばっかじゃねぇの」
 これは照れくさくて恥ずかしい。しかも田中のほうだけハートマークが描かれている。
「ちょっと、なんでハートだよ」
「愛しているって証」
「それなら総一さんのほうにも描けよな」
 ペンを奪おうとするが、
「だめ、これは秀次だけ」
 と隠されてしまう。
「ずりぃ。俺も愛しているって証をつけさせろ」
 可愛いハートマークを指につけようと思ったのに、
「わかった。ここにマーキングしていいぞ」
 そういうと鎖骨を指さした。
「なっ、ふざけんな」
 キスマークをつけろという催促か。さすがに今は照れくさいからそこまではできない。
「それじゃ、次のお楽しみということで」
 楽しみだなと、頭をぽんと叩かれる。
「は、噛み痕をつけてやらぁ」
 歯をガジガジとしてみせれば、橋沼は楽しそうに笑い、そして田中の手を取ると小指のハートマークが消えないようにキスをした。

 赤ペンの指輪は風呂にはいったら消えてしまった。
 赤い糸が切れたぞと小指の画像を送ったら、次の日に赤い刺繍糸で編んだものを小指にはめられた。
「これで消えないだろう?」
 そういうと口角をあげる。
「消えねぇけど目立つだろうが」
「お揃いのリングを買うまで我慢しろ」
 まさかリングを買おうと思っていたなんて。嬉しい、でも気恥ずかしさから素直にそうとはいえずに、
「はめねぇからな」
 可愛くない態度をとってしまった。それでも橋沼は気にすることなくスマートフォンの画面をこちらへと向けた。
「秀次が好きそうなのみつけたんだけどな」
「うっ」
 確かに好みのデザインだった。
「気に入ったようだな」
「あぁ? どうしたらそう思えんだよ」
 顔が緩まないようにと画面を睨んでいるのに。もしや喜びが押さえきれずに顔に出てしまったか。
 おかしいなと頬を掴んで動かしてみれば、
「可愛なぁ」
 頬を掴んでいる田中の手へ、橋沼が手を重ねて動かした。
「ちょっと、ふにふにとしすぎ」
「ひよこ口」
 今度は押しつぶされて、やめろと手を動かした。
「なんなんだよ」
「秀次のことを構いたくて」
「だぁ、俺のシャツのボタンをちゃっかり外してんじゃねぇよ」
 油断も隙もない。やめさせようと橋沼の手をつかむが、
「上半身を描こうかと」
 傍に置いてあるスケッチブックを広げてみせる。
 弁当のおかず、食いかけのパン、手、唇、シャツの隙間からのぞく鎖骨、まさかと橋沼をみれば田中を指さす。
「なに描いてんだよ」
「秀次」
 シャツの隙間から橋沼の手が田中の肌をなでる。
「おぉい、誰が触ってイイといった」
「え、触るだろ?」
 当然だろうと目を瞬かせる。しかも胸のある箇所へと指が触れた。
「男の胸なんて触ってもつまらないだろうが」
「そんなことはないぞ。張があって触り心地がイイ。それに男でも感じるんだぞ」
 ここが、と、指ではじかれた。
「痛いだけだし。それとも誰かに試したとか?」
 恋人になったばかりだというのに、他の男の話を聞かされることになるのか。もしそうだとしたらプロレス技をかけてしまいそうだ。
「いいや。冬弥から聞いた」
 それを聞いてホッと息をはくと、橋沼がにやにやとしながらみている。
「なんだよ」
「今、嫉妬したよな」
 するに決まっているだろう。橋沼から元恋人の話しなんて聞きたくないし、独り占めをしたいのだから。
 だけど素直に口にできないのが田中だ。
「ともかく、これ以上さわるなら膝十字固めな」
「わかったよ」
 これ以上はしつこくすることなく手が離れた。
 シャツのボタンを止め、
「総一さんはマテを覚えような」
 まるでワンコにマテをさせるように顔の前に掌を向けた。
「ワンワン」
 橋沼がふざけて犬のふりをし、首の付け根に鼻を近づける。それがくすぐったい。
「あははは、ずいぶんとデカい犬だな」
 頭をなでて抱きしめると、ふ、と表情が真面目なものへとかわる。
「秀次のそういうところだよ、俺が我慢できなくなるのは」
 そういうところとはどこなのだろうか。自分では全然わからない。
「いわなきゃわかんねぇよ」
 橋沼の頭をかき混ぜるように撫でると、首にぬるりとした感触があり、舐められたと気が付いて頭を放した。
「ちょっと!」
 ふざけてないで答えろと睨みつければ、唇を舐める橋沼の姿が目に入る。
 得物を前に襲う気満々の肉食獣のようだ。
「膝十字固めっ」
 技を掛けてやるつもりが言葉しかでてきない。動揺しているせいかもしれない。
「やってほしいのか」
 と逆に技を掛けられそうになる。
「そんなわけあるか」
 ひとまず橋沼から離れようと一歩後ろへ下がるが、
「隙だらけで押しに弱く、少し天然なところが好きだぞ」
 そういわれてムッときた。
 悔しまみれに技を掛けに向かえば、そのまま床に押さえ込まれてしまう。
「くそ、重すぎ」
 しかも、ワン・ツー・スリーとカウントを取りはじめて、
「俺の勝ちだな」
 と口角をあげて、
「勝利のキス」
 自分の唇を指でとんと叩き、田中にキスをと催促する。
 全ての面で橋沼には敵わないだろう。
 だが、悔しくはない。愛しい人なのだから。
「はいはい、おめでとさーん」
 田中は首に腕を回すと橋沼の唇へ勝利のキスを贈った。