甘える君は可愛い

ワンコな部下と冷たい上司

 前よりも酷い表情になった。
 冷たい目すら向ける事は無く、感情が抜け落ちて何も映っていないかのようだ。
 杉浦に嫌われてはいないだろう。寧ろ、そういう意味で自分を好きなのではと思っている。
 何かに耐えるように辛い表情をする杉浦を見ていたら、愛おしという感情がわきあがり思わずキスをしていた。
 恋人として彼の傍に居て支えたい。そう、自分も杉浦が好きだと気が付いた。
 だが杉浦は自分の中に踏み込まれるのを恐れている。
 それを取り除かない限り、あの人は自分にまた心を開いてはくれないだろう。
「杉浦君と何かあった?」
 あの表情が気になったのだろう。
「八潮課長、どうして杉浦課長は他人と関わり合いを持ちたがらないんでしょうか?」
「そうだねぇ、もしかしらなんだけど、失うのが怖いのかな」
「それはどういう事でしょうか」
「あの子は中学の時に両親と弟を失ってね。それからおばあさんに育てられたんだけど、その方も、ね」
 あの洋食屋は、杉浦にとって家族の思い出の場所。懐かしいが辛い場所でもあったのではないだろうか。
「僕も悪いのかもしれない。中途半端にやさしくしたから」
「……俺はあの人の傍から離れたりしません」
「うん。前にも言ったけれど、あの子を変えられるのは君しかいないって、そう思っているよ」
「はい。今なら八潮課長がそう言った理由が解るような気がします」
 あの人が怖いと思うモノをなくしてやればいい。
「俺、杉浦課長が好きです。それに、あの人にも俺が好きだと認めさせないと」
 言うねぇと八潮は口元をほころばせた。

※※※

 杉浦からの反応は今だ冷たいままだ。
 何が彼をそうさせてしまったのだろう。やはりキスをしたのがまずかったのか。
 それでもめげずに話しかけるが、全身で拒否されているのを感じてしまう。
 しかも、日に日に顔色が悪くなっている。
 杉浦が気になって仕方がない。残業をするのに付き合い自分も仕事をする。
 いつか倒れるのではと思っていた矢先に足元から崩れ落ちた。
「杉浦課長」
 抱き起こせば、大丈夫だからと離れようとするが、力が入らないようだ。
「駄目です。少し休みましょう」
「離せ」
 腕を払った時にそれが頬を打って音が鳴る。
 感情が抜け落ちていた表情が、驚きのものへと変わる。やっと戻ってきた。
 大丈夫ですからとその手を掴めば、身体が跳ねて震える。
「お前だって俺の側から居なくなる癖に」
 その目元には涙が浮かんでいる。家族が死に、八潮には恋人がいる。杉浦の愛おしく想う者は彼の傍にいないのだ。
 それが原因だというのか。だとしたら、松尾に出来る事は一つしかない。
「傍に居ますよ、俺は」
「嘘だ、お前だって俺を置いていってしまう」
 頭をふり、自分の身を守るように体を縮める。
 そんな彼の背中をゆっくりと撫でれば、ビクッと肩が揺れて身体が強張る。
「置いてなんかいきませんよ」
 傍に居ますと言いながら背中を摩り続けているうちに、強張った身体から力が抜けていく。
「俺は貴方のことが好きです。だから、キスをしました」
「本気、なのか?」
「はい。貴方が不安に思うものをなくしていきましょうね」
「なっ、お前」
 気が付いていたのかと杉浦が顔を赤く染める。
「また食事会からはじめませんか? 貴方の行きたい所に行くのもいいな。そこでお話しましょう」
「それならば、あの洋食屋で一緒にオムライスを食べたい」
「はい」
「家族との思い出を聞いてくれるか?」
 ふ、と、杉浦の表情が柔らかくなる。
「ずっと傍にいて、俺を愛してくれるか」
「愛し続けます」
 両方の手を握りしめ、額をくっつけあう。
 再び唇が触れあい、そして、互いに笑みを浮かべた。

◇…◆…◇

 今まで関わりあう事を避けてきた杉浦に、松尾はまずはコミュニケーションをと、あるミッションを出す。
 喫茶店の近くにある和菓子屋。そこで部署の皆に差し入れを買うことだ。
「お疲れ様。皆さんでどうぞ」
 そう声を掛ければ、皆が驚いた目を向ける。
「ごちそうさまです」
 一番に席を立ち袋の中から饅頭をとったのは松尾で、それに続いて皆が躊躇いつつも袋の中から和菓子を手に取る。
「美味しそうですよね」
 と、部署の中でもムードメーカ的なベテランの女子社員に声を掛ける。きっとあれはこちらに話を振りやすくする為にしたのだろう。
「課長、どこで買われたんです?」
 松尾の狙い通りに、その女子社員が声を掛けてくる。
 まだ慣れないので緊張する。表情も強張っているのではないだろうかと、ちらりと松尾を見れば、頑張れとくちぱくをする。
「良く行く喫茶店の近くにあるんですよ。その……、よければパンフレットをどうぞ」
 袋から取り出してそれを手渡す。
 興味を持った女子がそれを眺め、ふっと松尾を見れば杉浦に優しく微笑んでいた。
 それにホッと胸をなでおろし、
「残りは適当に分けてください」
 袋ごと女子社員へと渡した。
「ありがとうございます。頂きます」
 差し入れをしただけなのに、皆のやる気をいつもより感じる。
 松尾がまだ移動してくる前、八潮によく差し入れを貰ったのだと話してくれた。
 それだけでやる気が違くなると言っていたが、本当だった。
「少しずつでいいんです」
 いつもと違う事に、皆は気が付いてくれるから。
 和菓子屋に一緒について来て貰った時に、手を握りしめながら言ってくれた。
 それから一息入れようかということになり、
「課長、お菓子のお礼です」
 とペットボトルのお茶を貰った。
「今度、この和菓子屋さんに行ってみようと思います」
 別の部下がそういって笑う。
「俺、甘いもん苦手なんすけど、これ、めちゃうまいっす」
 と、松尾と同じくらいの歳の社員がそう口にする。
「それは良かったです」
 嬉しいと素直に思った。
 途端、周りがポカンとした表情を浮かべ、松尾が指で唇の端を持ち上げて笑顔を作る。
「え?」
 自分は今、笑顔を見せていたのか。それに驚くと同時に恥ずかしくて顔が熱くなる。
「やばっ、レアっすね」
 と言われ、女子社員がきゃっきゃと声を上げている。
 松尾がすぐそばに来て、
「いい笑顔です」
 そう囁く。
 人との付き合いもそんなに悪いものではない。そう思ってしまうのは隣に立つ男の影響なのだろう。
 これでは松尾の思いのツボだなのだが、それに乗せられる事も嫌ではない。

 約束をしていた洋食屋へと行った。
 家族の思い出を話している間、松尾は黙って話を聞いてくれた。
 大切な人達の事を思い出すのが辛くて、この洋食屋にもずっと行く事は無かった。
 だが、今はここは特別な場所にとなりつつある。愛しい人と、大切な人との思い出がつまっているから。
「今度はクリームコロッケを食べてみようと思います」
 母親がいつも頼んでいたメニューだ。
「では、俺はハンバーグを」
「半分こしましょうか。弟とよくしてました」
「いいですね。そうしましょう」
 食事を終え、マンションまで送るという松尾に、それならばと自分の部屋へと誘った。
 中へと入るなり、こちらからキスをする。心が満たされて暖かくなる。
「課長、どうしたんです」
 玄関先でキスをするなんてと、熱烈ですねと頬を撫でられる。
「お前で満たされたい。もっと、深い所まで俺にくれないか?」
 口調がかわり、上司と部下という関係から恋人同士の時間となる。
「それって、貴方を抱いても良いと言う事でしょうか」
「あぁ。受け入れたいし愛してほしいんだ、身も心も全て」
 今まで好きになった人は杉浦の元から去っていく。それがどれだけ悲しかったことか。こんな思いをするならば一人でいる方がイイと、関わることをやめたのにだ。
 愛し合う喜びを感じたいと思ってしまった。全て松尾のせいだ。
「全部、頂きます」
 強く抱きしめられ唇を奪われる。
 舌が歯列を撫でて、互いに絡み合う。
「ん、ふ」
 首に腕を回して、水音を立てながら深く口づければ、足から力が抜けそうになり、それを支えるように松尾の腕が腰に回る。
「続きはベッドで」
 そうだった。まだここは玄関先だ。
「はは、俺はどれだけがっついているのだろうな」
「俺もです」
 また軽く唇が触れあい、そして目を合わせてふっと笑みを浮かべる。
「行こうか」
「はい」
 松尾の手を握りしめ、寝室へと誘った。