甘える君は可愛い

珈琲と煙草

 元気のよい素直な子供は、人生の先輩方のアイドルと化していた。
 カウンター席に座ろうと思っていたが、これでは無理そうだ。しかたがないので八潮は少し離れた席に腰を下ろす。
「いらしゃい、八潮さん」
 この頃は忙しく、この喫茶店にくるのは久しぶりだ。
 自分がここに通い始めた頃は、まだおじいちゃんがオーナーをしていて。暖かな人柄に癒しを求めて通ったものだ。
 孫の江藤も癒しの素質を受けついだようで、たまに彼に癒しを求め足を運ぶ。そういえば会社の部下である波多もここへ癒されにくるのだと話していた。
「やぁ、江藤君。あの子は?」
「友人の子なんですよ。仕事が終わるまで預かっているんです」
「ふぅん。可愛いねぇ」
 八潮は二度結婚したがどちらとの間にも子供は出来ず、いたら可愛かっただろうなと思った事はあるが、子は天からの授かりものだ。こればかりはしょうがない。
 シガレットケースから煙草を取り出し火をつける。紫煙を燻らせながら午後からの会議で使う資料へと目を通していれば、
「ねぇ」
 と声を掛けられ、いつの間にか男の子が目の前の席に座っていた。
 集中していたせいで気が付かなかった。八潮は慌てて煙草の火を揉み消した。
「ごめんね、気が付かなくて。煙たかったね」
「うんん。おじさん、これどうぞ」
 と、男の子のおやつだろうか、クッキーを差し出される。
「僕にくれるの?」
「うん。江藤のおじさんがやいてくれたの」
 ニッコリと天使のような笑顔を浮かべる男の子に、つられるように八潮もニッコリと笑う。
「ちょっと甘めですが、珈琲と合うように作ったので試してみてください」
 チョコレートチップ入りのクッキーは確かに甘めだが、ブラック珈琲との相性はいい。
「うん、サクサクで美味しいねぇ。ありがとうね、坊や」
「ボク、こうすけ。よんさいです!」
 そう大きな声で自己紹介をし、指を四本たてる。
「おじさんはねぇ、八潮っていうんだ。四十五歳だよ」
 と頭を撫でれば、嬉しそうな表情を浮かべる。
「へぇ、八潮君、もうそんなになるのかい」
 カウンター席の一人がそう声を掛けてくる。
 彼らも昔からの知り合いなので、八潮の年を聞いて自分らも年を取る訳だと笑う。
「あの頃は色々と悩みを聞いてもらいましたよね、珈琲を飲みながら」
「そうだったな」
 懐かしいと昔を思いだしながら、あの頃は若かったなとしみじみと思う。
「さて、そろそろ社に戻らないと。浩介君、これはお礼」
 たまに食事を摂り忘れる八潮に、部下である三木本が常に持って歩けと一口チョコレートを持たされている。
 それを掌いっぱいにのせてやれば、可愛い笑顔を浮かべてありがとうとお礼を言われる。
「ごちそうさま、江藤君。では、失礼します」
 江藤と先輩方へ頭を下げて店を出た。

 社に戻り、まだ時間があるので喫煙室で煙草を吸おうと向かう。
 シガレットケースから煙草を取り出して一本咥え、ジッポで火をつければ、
「ちゃんと飯食いましたか?」
 と缶珈琲を手に、三木本が中へと入ってくる。
「珈琲とクッキーを一枚食べたよ」
 紫煙をはきだし、彼にかからぬようにパタパタと手で煙を払う。
「煙草、気にしないでください」
「そう?」
 彼は煙草が好きではない。滅多な事が無い限り此処には近寄りもしない。
 なのにここへ来たのは八潮がちゃんと食事をしたかを確認するためだろう。
 独り身である八潮を心配しての事だ。
「本当はちゃんと食事を摂って欲しいところですけどね、まぁ、何も食わないよりはマシか」
 とポケットからチョコレートを取り出して掌に落とす。
「まだあるよ」
 さっき浩介にあげたがまだチョコレートは残っている。
「でしょうね。だから今、食べる分です」
 八潮の掌のチョコレートを一つとり、包装紙を開いて中身をとりだすと口元へと差し出した。
「貴方を思う部下の気持ちです」
 食べてくれますよね、とニィと口角を上げる。
 こうでもしなければ食べないだろうと、解っていてする行為。
 見た目は怖い癖に可愛い事をする三木本に、八潮はその手を掴んで指ごと咥え込んだ。
「なっ、課長!」
 せめてこのくらいの仕返しはしてやりたい。
 指が抜ける寸前、舌で指先をぺろりと舐めてやれば、怖い目つきが更につりあがる。
「甘い」
 ありがとうね、と、微笑んで見せれば、悔しそうに三木本が八潮を見つめ。
「チョコレート、全部食べてくださいね」
 と言い残して喫煙室を後にした。
 さて、残りのチョコレートは四つ。
「さて、どうしたものかね……」
 飲み物なしではすこしキツイかもしれない。
 煙草を揉み消し、自動販売機へと向かった。