Short Story

素直になれない恋心(灰)_優成

 頬をざりざりと舐められて目が覚める。
 時計を見れば十時を過ぎており、朝から降り続いていた雨も今は止んでいる。
 つい、ソファーで寝てしまい、夕食がまだだったと愛猫のアオを抱き上げる。
「ごめん、ごめん。今、ご飯をあげるからね」
 優成(ゆうせい)はアオに頬ずりをしようとすれば、
「シャァァ――!」
 と威嚇されて、アオが腕の中から飛び出していく。
「アオ、酷い」
 落ち込みながら彼女を見れば、カリカリと玄関のドアを爪で掻く。
 外に出たいのかと思いドアを開けるとパッと外へと出て、ひっきりなしに鳴きはじめる。
「何、そこに何かいるの?」
 犬でもいるのか、優成はサンダルを履いてアオのいる場所へと向かうと、診療所の出入り口に寄りかかる男がおり、その顔は嫌でも知っている人物の者だった。
「え、青葉(あおば)さん!」
 もう会う事はないと思っていた相手。町医者になると病院を辞める時、軽蔑されてしまった。
 ここの場所を知っていた事も驚いたが、まさか来るなんて思わなかった。
 暫く男を眺めていたが、ふ、と我に返る。
「いや、今はそれ所じゃないか」
 と青葉に近寄れば酒の匂いがしてくる。
「具合が悪いのかと思えば、ただの酔っ払いかよ」
 優成は彼の腕をとり肩に回し、診療所の奥にある休憩用のスペースとして利用している部屋へと連れて行く。
 そこは和室になっており、座布団を畳んで枕替わりにし、そこへ寝かせる。
「青葉さん」
 声をかけ肩を叩くが、唸り声を上げるだけで目覚める気配がない。
「しょうがないなぁ」
 外で鳴いているアオを腕に抱き部屋へと連れていく。診療所は好きではないらしく絶対に中へは入ってこない。
 そして部屋から毛布を持って診療所へと戻った。
 優成はじっくりと彼の顔を見る。
 178センチの自分よりも少しだけ身長が高く、整った顔をしている。
 彼は優秀な外科医でもあり隙がない人だった。それ故に一体何があったのだろうと気になった。

 

 ぼんやりとした目つきが優成をとらえた途端にぱっちりと開かれ、身を起こそうとするけれど怪我と熱とでうまく起き上がれず、小さく唸るとそのまま横になる。
「頭が痛い」
「飲み過ぎだよ」
 と、優成は青葉に冷たい水を差し出す。
「ありがとう」
 余程に喉が渇いていたのだろう。水はあっという間に飲み干され空となる。
「もっといる?」
「いや、もう結構」
「そう」
「帰るよ」
「こんな時間に? あのさ、こんな所でよかったら泊まっていきなよ」
 一応、そう口にする。それでも帰ると言うならばタクシーを呼ぶつもりだ。
「すまない。お言葉に甘えさせてもらう」
 そう言うと、すぐに眠りへと落ちてしまった。
 こんな人だっただろうか。優成が覚えている青葉とは違う人のようだ。
 机の傍にある丸椅子に腰をおろして彼の寝顔を眺めた。

 いつの間にか青葉と場所が入れ替わっていた。
「青葉さん」
「おはよう。起きたら君が机に伏せって寝ていたから運んだ」
「すみません」
「いや。俺の方こそ迷惑を掛けた」
 時計を見れば朝の六時。大きく伸びをしながら立ち上がる。
「頭痛はなさそうだね。ご飯はどうする?」
「あ……、そうだな、頂こう」
「じゃぁ、二階に行こう」
 住居スペースへと向かい、座布団を置く。
「すぐに用意するから」
 そういって台所に向かう。ご飯はすでに炊けているので、後は味噌汁を作り魚の干物を焼く。後は漬物と海苔で十分だろう。
「みゃーん」
 アオの鳴き声がする。
 お茶と水をお盆にのせて持っていけば、青葉の膝の上に当然のように座っていた。
「猫、平気?」
 アオが甘えている姿に複雑な笑みを浮かべれば、
「あぁ。とても美人だ。ロシアンブルーだよな」
 と、笑みを浮かべてアオの耳の裏をかけば、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。
 アオの喜ぶ言葉をよく知っている。
「そう。アオっていうんだ」
 青葉なら仕方がない。男前に綺麗だといわれて気持ちがよくならない筈はない。
 しょうがない。アオが喜んでいるのでサービスに卵焼きもつけてやろう。
「そうか。アオ」
 甘ったるい笑みを浮かべて猫を撫でる青葉に目が奪われる。
 今まで冷たい目をしているか愛想笑いを浮かべる彼しか見たことがない。だから珍しいと思ってしまった。
 いつまでも見ていたせいか、青葉がそれに気が付いて視線がぶつかり、まずいと思って視線をそらして台所へと戻る。
 手早く朝食を作り上げ、それを彼の前に出してやれば、美味そうだと喜んでくれた。

 食事を食べ終え、暖かいお茶を飲みながらそういえばと口にする。
「昨日、なんで診療所に居たの?」
「君に逢いたくて」
「え?」
 どういう事だろうかと青葉を見る。
 優成は父や兄と違い三流の医大を卒業した。そのことで家族に馬鹿にされて、指導医に青葉をつけてくれた。
 はじめの頃は迷惑だというのを隠そうともしなかったが、優成はただついていくだけだった。
 だが、徐々にその態度もかわり、表情は冷たいままだったが色々な事を学ばせてくれた。
「病院を辞める日に、君は挨拶をしに来てくれたよな。なのに、冷たくしてしまった」 
 あれはそうされても仕方がない。立派な外科医にと指導してくれた彼を裏切るような事をしたのだから。
「君が選んだ道なのだから、本来なら応援してやるべきなのにな」
 その時に見せた悲しそうな顔がいつも心の中にちらついていた、と、頬に手が触れた。
「青葉さん」
「君が親に逆らってまでここを継いだ事には意味があるのだろう?」
 患者の為の病院。医者冥利に着くだろうと暖かな手で撫でてくれた。
 祖父の生き方は親に逆らえぬ空っぽな自分に暖かいモノを与えてくれた。
 自分も患者に寄り添う医療を目指したいと、強く思ったのは祖父が病気になってからだった。
「はい」
「それを知りたい。君の傍にいていいか?」
 彼の目は真剣で、嘘をついていないように見える。
「俺の傍に……」
「あぁ。休みの日は手伝う。だから、いさせてくれ」
 青葉に手伝ってもらえるなんて、優成にとっては勿体ない申し出だ。
「え、いや、でもっ」
「なら、昼と夜にご飯を食べさせてくれないか?」
「え、そんな事で良いの?」
「家庭的で暖かい食事、すごく美味しかった」
 自分の作る物はごく普通の家庭料理なのだが、それでいいのなら別に構わない。ついでに作るだけだ。
「青葉さん、お願いします」
「良かった。こちらこそ」
 手を差し伸べられ、それを握りしめる。
 その手が暖かくて、心までもが温まった。