小さな食堂

好き

 特に待ち合わせの時間は決めていないのだが、河北は仕事が終わり家に帰った後に用事を済ませてから出かける。
 大抵は河北の方が先に来ているのだが、今日は利久の方が先に来ていて待ってますという連絡を貰った。
 家の用事を済ませて着替えをし財布をもって家を出る。
 入口はガラス戸で中の様子が見える。覗き込むといつもの場所に利久の後姿が見える。ただ一つ、その隣に女性の後姿が見えた。
 一瞬、母親かと思ったがそれにしては細く髪が長いし着ている服が若い感じがする。
 店の中はほぼおじさん。その中に一人だけ女性が入るには勇気がいるのではないだろうか。
 誰かが連れてきたのか。そうだとしたら自分の隣、もしくはテーブル席につくはずだ。
 だとしたら利久の知り合いか。
 ひとまず中へと入り確かめようとガラス戸を開く。沖がいらっしゃいと声をかけ、利久がこちらへと振り返る。
「河北さん!」
 何か焦ったような表情を浮かべており、隣の女性は利久の知り合いなのだと気が付いた。
 その女性もこちらへと振り返り、そして利久の方へと顔を向けた。
「えっと、利久君のお友達?」
 どこかでみたことがあるような気がする。
「あ、もしかして小江戸でお会いした……」
 彼女も同じことを思っていたようで首を傾げながら聞いてくる。
「利久君と同じ大学の子、だったよね」
「そうです。利久君とは学科は違うんですけど仲良くしてもらってます」
 そういうと利久の腕へと触れた。
「そうなんだ。邪魔しちゃ悪いから僕は佐賀野さんとこにお邪魔しようっと」
「かわ」
 呼び止めようとするのを無視して佐賀野のいるテーブル席へと向かう。
「ちょっと河北ちゃん、利久君が縋るような目で見てるよ」
「えぇっ。たまにはおじさん同士で飲もうよ」
 ふたりが気になるが見たくない。だから見えないように背を向ける席へと腰を下ろしたのだ。
「言っておくけど、利久君と一緒に来たんじゃなくてあの子は後から店に入ってきたんだよ」
「そうなの? でもお店の場所を知っていたんだから利久君が教えたんでしょ」
 沖の作る料理は美味しいから色々な人に知ってもらえるのは嬉しいが、なぜだろう、あの子は嫌だと思った。
「河北ちゃん、あのお嬢さんにいい印象を持っていないのかな?」
「そんなことないよ。若くて可愛い女の子が来るのは嬉しいじゃないの。ここ、おっさんばっかりだもん」
「そりゃ、若い子は大歓迎だけどね」
「ほら、ともかく飲もうよ。ね」
 コップにビールを注ぐと佐賀野のグラスに軽くグラスを当てた。
 しばらくするといいにおいが漂ってきて定食が運ばれてくる。
 それをテーブルに置いたのは沖ではなく利久だった。
「利久君が運んでくれたんだ。ありがとうね。ほら、彼女の所にもどりなさないな」
「彼女を駅まで送ってここに戻ってきますから。一緒に帰りましょう」
「いやだよ」
 いちいち癪に障る。話もしたくなくてみそ汁を手に取りひとすすり。諦めて戻るだろうと思ったが、
「拗ねているんですか?」
 と言われてみそ汁が滑り落ち、テーブルの上へとぶちまけてしまった。
「あぁっ」
「ブハッ」
 河北の慌てる声と重なるように佐賀野が吹き出した。
「大丈夫ですか」
 沖がテーブル布巾を手に席へとやってくる。
「駿ちゃんごめん。布巾だけ頂戴」
 佐賀野が笑っていることに沖が不思議そうな顔をしている。
「利久君は席に戻って。佐賀野さんはいつまでも笑ってないっ」
 理由を知っているのはこの三人だけ。
「河北さん、俺が帰るまで待っていてくださいね」
 と去り際に手に触れて席へと戻っていく。
「ふ、利久君にバレバレじゃないの、河北ちゃん」
「拗ねてなんかいないから。変なことを言わないでほしいよ」
 こぼしたみそ汁を拭き、布巾を沖のもとへと返しに行くと新しいみそ汁を用意してくれてそれを受け取る。
 利久と一瞬目が合うが顔を背けて席へと戻った。

 二人が店を出たのはそれからすぐだ。
 聞いてもいないのに佐賀野が教えてくれた。
「言っておくけれど僕は待つつもりはないよ」
「そんなことをいわないの。大好きな子のお願いなんだから聞いてあげなよ」
「好きって、うそでしょ」
 まだ返すことの出来ていない言葉。
 心の準備ができていないと思っていたのに。他から見たら自分も利久が好きだと見えるのか。
「だってさ、お嬢さんにヤキモチやいているし、利久君が言った通り拗ねていたじゃないの」
「別にああいう子が少し苦手なだけで」
「それ、利久君の隣にいたからむかついたんでしょう?」
「へ」
 勇気がなくて一歩前に進むことができなかった。
 だけどそれは自分だけであって、他から見たらとうに利久が好きだと思われている。
 それに気が付かなかったことに羞恥でテーブルに顔を伏せた。
「何がこれしか返せないだよっ」
 好きという言葉を返せずに利久に言った言葉を思い出すと余計に恥ずかしくなる。
「おおいに照れるといいよ。いくつになっても恋愛はそうでなくっちゃ」
「もう、からかわないでぇ」
 この何とも言えぬこそばゆさ。店の中でなかったら叫んでいたかもしれない。
「さて、佐賀野さんのお役目はおしまいかな」
 肩を叩かれて顔を上げると息を切らして利久が目の前に立っていた。
「もう戻ってきたの?」
「はい。あまりに遅いと帰ってしまうかもと思って急いで帰ってきましたが、ご飯、まだだったんですね」
 テーブルには手つかずのままの定食があり、みそ汁はぬるくなっていた。
「うん。ご飯無理っぽい」
 胸がいっぱいで喉に通りそうもない。
「それじゃ、俺が食べてもいいですか?」
「うん。お願い」
 利久に定食を食べてもらい河北はぬるくなったみそ汁だけ頂く。
「河北さん、彼女とはなんでもありませんし、二度とこの店には来ないと思います」
「そうなんだ」
 送っていく間に彼女との間で何かがあってそうなった。それを聞いて心の中で安堵する。
「残念だね。女の子のお客さんが増えなくて」
「あ……、でも俺は彼女と仲良くするつもりはないですから。ご馳走様でした」
 食べ終わると利久が河北の手をつかんだ。
「沖さん、ご馳走様でした。帰りますね」
「うん。河北さんのことよろしくね」
「はい」
 よろしくって、と心の中で呟きつつ、利久にしっかりと握られた手からは熱を感じる。
 この先のことを思うと緊張している自分がいる。
 もう答えは出ているのだ。あとは勇気を持つだけだった。

 分かれ道にたどり着いたのにつないだ手は離れない。
「このまま連れて帰りたいです」
「やだよ。君のお父さんが渋い顔するじゃないの」
 南家の主にはいい感情を持たれている気がしない。
「あぁ、それは諦めてください」
 何か理由に当てはまったか、同情するように肩に手を置かれた。
「やっぱり。僕、何かしたかなぁ」
「父さんがああなのは俺たちも悪いんですけどね」
 ふぅ、と耳に息がかかり、驚いて肩が上がる。
「利久君」
「俺達って河北さんが大好きですから」
 そこには南も含まれているということか。そうだとしたらわかる気がする。
「なるほどね。学生の頃も君のお父さんにはライバル視されていたからなぁ」
 南とは友達以上の感情はなかったのに、会うたびに睨まれていた。
「父さんの一目ぼれだったって母が言っていたけれど、本当だったんですね」
「うん。南は上級生からも好かれていたからなぁ。可愛くて明るくてね」
 南の話をしていたら、握りしめる手が更に強さを増した。
 もしやとスマートフォンのライト機能を使い利久を照らすと拗ねた顔をしていた。
「拗ねた?」
 今度は河北がそう口にする。
「拗ねました。母の話しはもういいです」
 ただ違うのは素直にそう口にするところだ。
「そうだね。南の話しはおしまいにしようか」
 ライトを消してポケットに入れると利久の唇の当たりを撫でると、それにこたえるように唇が重なり合う。
「利久君、僕はね勇気が足りなかったよ」
 待たせたね、と背伸びをして利久の耳元にい唇を寄せ、
「好きだよ」
 とささやく。
「ほんとう、ですか」
「うん」
「大切にします」
 つないだままの手を持ち上げて手の甲にキスをする。
「だから僕はお姫様じゃないってば」
 相手が綺麗な女性なら様になっただろう。
「俺にとってはお姫様です」
 そして。ふたりそろって声をあげて笑った。