小さな食堂

遊ぶ約束

 利久と友達になったが、メールが二回送られてくる以外には特に何もなく日々を過ごしていた。
 休みのたびに遊びに行こうと誘われるかと思っていたが拍子抜けするぐらいになにもない。
 しかもこの頃は大学が忙しいようで店にも顔を出していない。
 今日は金曜日。土曜は店に行かないので顔を合わせないのも一週間となる。
 利久がまだ店に顔を出さなかった頃のように自分のペースで常連と楽しく酒を飲み話をするが、隣の席が静かすぎて少々落ち着かない。
 彼のことを気にしている自分に、どうしちゃったのよとツッコミを入れる。
 そもそも大学生なのだから歳の近い友達や学業を優先すべきなのだ。
「河北さん、今日は飲みますね」
 そう後ろから声を掛けられて隣の席へと腰を下ろした。
「わぁ、郷田君じゃない。お仕事おわったの?」
 郷田は沖の恋人で刑事だ。事件が起こると何日も顔を合わせることもない。
「はい」
 ビール瓶を差し出すと頂きますと目の前に伏せてあるコップを取る。
「河北さん、聞きました。春が来たと」
 利久のことをだろう。まぁ、店に来れば誰かが話すだろうからいずれは郷田の耳に入る。
「お友達だからね。ちょっと駿ちゃん、郷田君になんて話をしたのよ」
「えー、利久君のことを話しただけだけど」
「すみません、俺の勘違いです」
 深く頭を下げる郷田に、やめてよと頭を上げるように言う。
「駿ちゃんが誤解するような言い方をしたんでしょ!」
 誤魔化すように笑みを浮かべる沖に、こらと殴るような仕草をする。
「利久君に会えるかもしれないと楽しみにしていたのですが」
「大学が忙しいんじゃないの~?」
 二度送られてくるメールにも、来ない理由は書かれていない。
「いい食べっぷりを見れないのが寂しいな」
 沖は食べる姿を見るのが好きだ。利久の食べっぷりは気持ちよくかなりツボをついているだろう。
「駿也さんにそう言わせるなんて、負けてはいられませんね」
「利久君もいいけど、俺は一太君の食べっぷりが一番好きだよ」
 カウンター越しに惚気あうふたりに、
「オアツイデスネー」
 と野次を入れる。
「俺と駿也さんはいつでもラブラブなんです」
 そう真面目な顔をして返すものだから、表情と言葉のギャップに吹き出してしまった。
「ぶふっ、そうだよねぇ」
「一太君」
 沖は嬉しそうに郷田を見つめ蕩けそうな笑みを浮かべた。
 そういう反応を見せるのか。好きの意味が違うだけで感じ方も大分かわる。
 もしも河北が郷田と同じことを利久に言ったとしたら、彼は沖が浮かべたような表情を見せるだろうか。
「はぁ、本当、参るよ」
 じわりと胸に暖かなものを感じて胸に手を当てた。
「河北さん?」
 つぶやきはきこえなかったようで、
「ん、ふたりにあてられちゃった」
 そう笑ってごまかした。

 結局、店に利久は来ず、適当な時間で切り上げて店からでる。
 久しぶりに郷田と会えたこともあり、楽しかったなとご機嫌で帰りの道を歩いていると、
「河北さん」
 と暗がりから声を掛けられて、驚いて「わぁっ」と声が出てしまう。
「驚かせてしまってすみません、利久です」
「え、利久君!?」
 外套の下へと移動すると、確かに利久だった。
「もしかして店に行こうとしていたの?」
「いえ。店の前まで行ったんですけどね」
 それなら中へ入ればよかったのに。利久らしくない行為に首をかしげる。
「テスト勉強の息抜きに少しだけ顔を出そうと思ったのですが、楽しそうな皆さんを見ていたら帰りたくなくなりそうだなと」
「あぁ、なるほど。それならいつも送ってくるメールにそう書いてくれたらよかったのに」
「え、気にしてくれたんですか!」
 そういうつもりで言ったわけではないのに。喜ぶ利久を見ていたら沖と郷田のことを思い出した。
 本気なんだと、利久の恋心がダイレクトに心の中へと入り込んだ。
「いや、駿ちゃんが。寂しがってたよ」
「河北さんは?」
 顔を近づけて河北の言葉を待つ。
「んー、今日は郷田君がいたからなぁ」
「郷田さんって、沖さんの恋人の? 背中しか見せませんでしたが、隣に座っていた大柄な方ですよね」
「うん。はじめて彼が来た時は筋モンかと思ったよ」
「でも刑事さんだった、と」
 店で沖と恋人の話しとなりその流れで利久に聞かせたことがあった。
「そうだったんですね。店の中へ入ればよかった」
 悔しそうにする利久に、
「店に行けば、会える機会があるよ」
 と肩に手を置いた。
 彼に告白されてすぐの頃は来ないで欲しいと思っていたのに。
 隣が静かなよりは騒がしいほうがいい。
「はい。テストが終わったら店に行きますね」
「そうだね。さぁ、そろそろお家におかえりなさいな」
「名残惜しいです」
 もう少し一緒にいたい、そういうかのように河北の手をとると握りしめた。
「もう、利久君、お勉強の時間が減るよ」
「俺、河北さんに俺がいなくて寂しいと思ってもらえるような存在になりたいです」
 つかんでいた手を持ち上げて、捨てられた子犬のような目をして河北を見つめた。
 この顔はずるい。手を振り払えなくなってしまう。
「しょうがないな。お家まで送ってあげるから」
「河北さんに送ってもらえるなんて嬉しいです」
 利久がまだ子供の頃に家まで送ったことがあるので南家までの道は知っている。
 手を離し歩き出すと利久が隣に並ぶ。
「テスト開けの土曜か日曜なんですけど、一緒に遊んでくれませんか?」
「若い子が好きそうな所とかは無理だよ」
「はい。河北さんが楽しかったと思ってもらえるような場所を考えておきますね」
 声が弾んでいる。そんなに楽しみなのか。
 こういうのも悪くない。利久の喜びが伝染したかのように河北の胸が小さく跳ねた。
「ただし、勉強をそっちのけにして遊びに行く場所を考えるのは駄目だからね」
「はい」
 返事をすると足を止め、
「我儘に付き合ってくれてありがとうございます。ここからは一人で帰ります」
 ここからだと右に曲がれば河北家がある方角となる。一緒にいたいのは本当、でも家までは送らせようとは思っていなかったのかもしれない。
「利久君、勉強頑張って」
「はい。おやすみなさい」
 利久は手を振り暗闇に消えていく。今日はいつもとは逆だ。利久を見送った後、河北も家へと向けて歩き出した。