小さな食堂

ペースに巻き込まれる

 利久の母親とは同級生という以外に同じ職場で働く者同士だった。よく知った仲というのもあって非常に気まずい。
「息子が迷惑かけてるみたいでごめんね」
 一体、彼女はどこまで知っているのだろうと心臓が飛び出そうになった。
「あぁ、うん、えっと南は利久君に何か聞いているのかなぁ」
「ごめーん、高校の時から知ってる」
「ひぃぃ」
 今まで何食わぬ顔で接していたのかと血の気が失せる。
「さすがに未成年のうちではやばいと思ってね、二十歳になるまで我慢しなさいって言っておいたわ。偉いでしょ、私」
 自慢気にそう口にする南に河北はがっくりと肩を落とした。そうだった。彼女はこういう人だったと。
「息子が同性のしかも三十も歳の差があるおじさんに恋心を好きとか気にならないの?」
「息子がさ、真剣な顔をして両親に告白したのよ? どれだけ勇気がいったことでしょうね。私は話してくれたことが嬉しかったし、息子が望むなら応援してあげたい。お父さんは渋い顔をしていたけれどね」
 自分の子供が同じように告白してきたら自分はどうするだろう。
 南のように応援したいと思うだろうし、父親のように心配で渋い顔をしてしまうかもしれない。
 だが結局は子供の幸せを願うのだろう。
「河北君だって私と同じでしょ。どういう結果になろうとも私は息子を応援します」
「君の、そういうところは好きだけどさぁ、困るよぉ」
「息子は立派に成人しました。だから私からは恋愛に対して口出ししませーん。あ、無理やり手を出すようなことはさせないから安心してね」
 そうじゃないだろう、と、心の中でつっこむ。
 彼女は息子の味方を選んだのだ。河北が何を言っても無駄なのだろう。
「知れば知るほど可愛くなるからね。うちの子はいい子だから」
 いい子なのは良く知っている。しかも息子より気が利く子であった。遊びに来た日にはゴミや使ったグラスを下げに来たのは利久だし、お店に来た時も誰かが困っていたら真っ先に手助けに行く。
「だから、無碍にできないんじゃないか」
「ふふ、私もね河北君のそういうところ好きよ」
 同じ言葉を言い返された。
 河北には一枚も二枚も上手な彼女に勝てるはずなどなかった。

 母親の公認は利久にとって強味なのだろう。親と同い年の男を口説いても泣かれることはない。
「南親子に、ぼかぁ勝てないんだよ」
 飲み終えたコップをテーブルに置き、顎をのせる。
「河北さんって押しに弱そうだものね」
「ちょっと駿ちゃん」
「はい、おまちどうさま」
 今日のメニューはアツアツ揚げたてコロッケだ。沖に言いたいことはあるがこれを目の前にしてしまったら食欲の方へ意識が向く。
「揚げたてのコロッケ、学生の頃、帰りに食べながら帰ったなぁ」
 懐かしき学生の頃を思い出していたら、
「青春の味ですね」
 と後ろから声がして、しかも距離が近いのか耳のあたりに息がかかり、こそばゆさに河北はその個所に手を当てて後ろを見る。心臓がバクバクとしているのは驚いたせいだろう。
「利久君いらっしゃい」
「こんばんは」
 いつの間にか河北の隣は利久の席となっていて当たり前のように腰を下ろした。
「利久君、後ろから覗き込むのやめてほしいなぁ」
 心臓が止まっちゃうよと胸に手を当てて冗談交じりに、だがやめてほしいのは本心だ。
「揚げたてのコロッケがいい匂いだったのでつい」
 しれっとかえされて、さすが南のDNAを受け継いだだけはある。
「利久君、どうする?」
「はい、二人前で」
 女性用にご飯少なめ、プラスデザート一品というメニューはあるが大盛はなく、沢山食べたい人は二人前を頼むことになる。
 利久はいつも二人前をぺろりと平らげて沖を喜ばせていた。
「この大きいコロッケを二枚か。おじさんは胸やけしちゃうな」
「余裕です」
 ピースサインをしてみせる利久に、河北は同じくピースサインをしてその指を利久の指に合わせて動かすと、ぽかんとした表情でこちらを見たあと、顔が真っ赤に染まった。
「え?」
「ずるいです、これは」
 そのまま指を絡ませて引っ張られて手の甲に柔らかなものが触れた。
「ヒュー、利久君やるねぇ」
 近くの席の常連がそう口にし、まわりも囃し立てる。
 いったい何がおきたのかと利久を見れば、その痕跡は手の甲に温もりとして残る。
「可愛いことをする河北さんが悪いんですよ」
 と言われて、今度は自分の頬が真っ赤にそまっているだろう。顔が一気に熱くなった。
「や、やだなぁ、王子様みたいなことしないでよ。驚くじゃない」
 手を引っ込めてコロッケを食べやすいサイズにして口に入れる。食べ物が口に入っていれば話すことができないからだ。
「河北さんの王子様になれるなら喜んで」
「ぐっ、ゲホゲホ」
 コロッケがのどに詰まりむせてしまった。いや、利久がおかしなことをいうからだ。
「河北さん!」
「大変っ、河北さん、水」
 沖がコップに水を入れてくれたのでそれを飲む。
「はぁぁ、死ぬかと思った」
「大丈夫ですか?」
 利久が心配そうに河北の背中をさするが、平気だよとそれを止めた。
「あのねぇ、利久君。僕はお姫様じゃないんだから王子さまはいらないよ」
 利久を拒否するようにそう口にするが、
「はい。それなら王子様でなくていいので河北さんの恋人になりたいです」
 と返されて呆気にとられる。彼は天然なのか。
「ふ、ふふ、利久君、強いね」
 口元を手で覆う沖だが肩が小刻みに揺れている。
 言い負かされた感はあったので、恨めしく沖を見た。
「駿ちゃん、はやくこの子にご飯をあげて。そうすればその口を閉じるよね?」
「ふ、うん、用意するから」
 まだおかしいのか、ニヤニヤとしていた。
 早く食べて帰ろう。それからは黙々と食事をしていたのだが、あと半分というところで利久の分が出来上がり、何故か食べ終わりが一緒だった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま……」
 いくら早食いでもアツアツコロッケを前にしてすぐに食べ終えるとは思わなかった。先に帰ることは出来なかった。
 だからと後に食事を終えても、もう少しここにいると言っても駄目だ。待たれてしまうから。
 たまらせるつもりで沖を急かしてしまったのが裏目に出た。
「河北さん、帰りましょう」
 一緒に店を出る、河北にはこの一択しか残されていなかった。