小さな食堂

心配する

 店を閉め何気なくコンビニに行こうと外へ出たのだが、店の前にある外套に立つ男の姿を見て、心臓が止まるかと思った。
 こんな時間にまさか誰かが居るとは思わなかったから。だからその相手が郷田だとわかりホッとした。
 一週間ぶりだ。
 店に何日もこないことも珍しくはないが、ちゃんとご飯を食べているのか気になるようになった。
 それは自分だけではない。河北も郷田のことを気にしていた。
「郷田君、今日も来ないねぇ。それても違う時間にきているの?」
「いいえ。この頃、お店自体にきてません」
「そっか」
 忙しくて食べにこれないのだろうと思っていたが、もしかしたら別に気に入った店ができたのかもしれない。
 そんなことが頭をよぎり、はたっと考え直す。美味しそうに食べる姿を見れないのは残念だが、別に自分の店で食べる食べないは郷田の勝手だ。
 どうしてそんなことを思ってしまったのかと疑問に思いつつ、
「また、店にきてくれたらいいですね」
 と口にする。
「そうだね。郷田君、食いっぷりいいからねぇ。駿ちゃんのタイプだろ」
 河北は今まで沖が付き合ってきた恋人の事を良く知っている。しかも性別など関係ない。
 食べる姿を見るのが好きで、大抵、彼女から「これ以上は太りたくない」と言って別れを告げられる。
 男とも付き合った事があるが、そのうち便利で都合のいい相手という扱いになり、気がつけば女性と浮気をされて別れる事になるのだ。
「何を言っているんですか。俺は作った料理を美味しく食べてくれたらそれでいいんで」
「駿ちゃん、まだ三十二歳だろ? 君の親父さんと歳の近い俺ならともかくさぁ、枯れるにはまだ早いよ」
 恋愛に臆病になりつつある自分。それを心配する河北の気持ちが伝わってきた。
 その時はそれで話を終わらせたが、それを急に思い出してしまった。
「沖さん」
 玄関ドアの開錠をする手が止まっていた。
「あ、ごめん」
 先に中へと入り、上へと上がると、どうぞと郷田を迎えた。
「はい。失礼します」
 玄関先で一礼し、靴を綺麗にそろえて部屋へあがる。
 そういう所も好感が持てる。
「すぐに用意するから座って待っていてね」
 座布団を指さし、食事の用意をしはじめる。
 とはいっても冷凍庫にある作り置きを温めて出すだけなのだ。
「ごめんね。作り置きを温めただけなんだけど」
「いえ。頂きます」
 いつものように食事の前の挨拶をする。料理は次々と郷田の胃袋へと納まっていく。
 気持ちの良い食べっぷり。これが見たかったんだと、沖はその食事の様子をじっと眺める。
「あの……」
 二人きりの空間で、遠慮なく見つめる視線が気になるのだろう。
「ごめん! 俺さ、自分の作った物を美味そうに食べて貰えるのが嬉しくて、つい見ちゃうんだ」
「いえ。前から見られているとは思っていたんですが、そういう理由だったんですね」
「あ、店でも見ていたの気が付いていたんだ」
 さすが刑事さんだね、と、苦笑いを浮かべる。
「郷田君、口いっぱい頬張るでしょ、それが可愛いんだよね」
 リスみたいだと、頬を指で突っつく。
「はぁ。かわいい、ですか」
 それは納得できないか、首を傾げる郷田に、沖はクスクスと笑い声をあげる。
「見られるのが嫌なら言ってね。台所に行っているから」
「いえ。料理が美味いんで、気にならないです」
 それは料理人としては喜んでいいことだろうが、意識して貰えない存在ということか。
 それはちょっと悲しいなぁ、と、何故だろうかそういう気持ちになる。
「郷田君、俺は自分の作った料理を褒められるの嬉しいけど、彼女とかには言っちゃ駄目だよ?」
 その言葉の意味を理解できなかったか、小首を傾げるだけだった。

 食事を終え、家に帰るという郷田と共に外へと出る。
「御馳走様でした。明日は店に行きますね」
「うん。待ってる」
「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい。またね」
 頭を下げて歩き出す郷田の背中を見送る。
 明日、店に来てくれることに胸が弾む。少し手の込んだ料理でもだそうかなと思うほどだ。
 また明日ね。 
 既に姿が見えなくなった郷田へ向けて呟き、沖は部屋の中へと戻った。

※※※

 約束通り店にやってきた郷田に、河北がさっそく声をかける。
「郷田君、来ない間、心配してたんだよ。ねぇ、駿ちゃん」
「実は、昨日、郷田君に会ったんですよ」
 ね、と、目を合わせる。
「夕食をご馳走になりました」
「え、えっ、ちょっと、どういうこと」
 期待するような目で沖を見る河北に、違いますからねと先に釘をさす。
「コンビニに行こうと思って外に出たら、偶然会ったんです。で、食事に誘っただけですから」
「へぇ、そうなんだぁ」
 にやにやとした表情を浮かべている河北に、これ以上、余計な事を言われないうちに二人の前に食事を出す。
「今日は鶏もも肉のトマト煮です」
 目の前に食事に郷田の意識はそちらへと向いた。
「頂きます」
 いつものように手を合わせる郷田に、召し上がれと言葉を返す。
 鶏肉は出す前に一口大にカットするのだが、それを箸でつかんで一口。そしてご飯を口の中へとつめる。
 目元が細められる。それは味を気に入ってくれたということ。いつも見ていたのでわかるようになった。
「やー、今日もおいしねぇ」
 河北も気に入ってくれたようで、二人はしばし食事に夢中になっていた。
 あっという間に皿が綺麗になり、ごちそうさまと手を合わせる。
「お粗末様でした」
「そうだ。郷田君、連絡先の交換しようよ」
 河北がポケットからスマートフォンを取り出すと、
「はい。あまりこちらから連絡はできませんが、何か気になることがあれば連絡ください」
 とスマートフォンを取り出して連絡先を交換しあう。それを眺めていたら郷田と目が合った。
「ほら、駿ちゃん、スマホ」
「へ、俺も?」
 自分のまで聞かれるとは思わず、嬉しくて声が上ずってしまった。
 だが、郷田は別の意味にとらえたようで、スマートフォンをテーブルに伏せておいた。
「勘違いしてしまいました」
「あ、いや、教えてくれるかな?」
「はい」
 河北のお蔭で郷田の連絡先を手に入れることができた。またご飯を食べにおいでと誘うことが出来る。
 口元がふよふよと緩みだす。バレぬようにスマートフォンをしまうふりしてカウンターに背を向けた。

 最後の客が帰り、片づけをして奥の住居スペースへと向かう。ここには祖父と祖母が住んでいたのだが、店と共に譲り受けた。
 河北が探るような目で見るから、あれからずっと郷田の事を意識してしまっている。
 余り物を冷蔵庫に入れ、風呂に入って寝てしまおう。そう思っていたのに、いざ、布団に入っても気持ちが変に高ぶっていて眠れそうにない。
「参ったな……」
 携帯のバイブが鳴り、誰からだろうと画面を見る。友人は家庭もちが多く、用事がない限り送ってこないし、家族はメールよりも電話をしてくるからだ。
「え、郷田君?」
 メールを開き読む。
<今日のご飯も美味かったです。おやすみなさい。郷田より>
 あまり連絡が出来ないといっていた癖に、すぐにメールを送ってよこすなんて。
 嘘つきめと呟きながら、熱くなる頬を冷ますように両手で扇ぐ。
「……これじゃ河北さんの思惑通りだな」
 かなり郷田の事を気に入っている。礼儀正しいし食べる姿も可愛い。
「俺、郷田君の事が好きだ」
 今までの経験が沖を慎重にさせていた。だが、もう溢れだす気持ちを押さえる事などできそうになかった。