小さな食堂

新しい客

 カウンター席の奥、定食を頬張る男がいる。
 大柄で目つきは鋭く無表情。白いシャツのボタンは二つあいていて、袖をまくっていて、そこから腕時計が見える。
 どうみてもカタギではない。そう口にする客もいるが、沖食堂の店主である沖駿也(おきしゅんや)は彼がどんな人物だろうと構わなかった。
 彼の食べっぷりは沖を清々しい気持ちとさせる。しかも、手を合わせて食前・食後の挨拶を口にする。
「この頃、毎日来てくれるよね」
 彼が店に来るようになり一週間たった頃、お勘定を置いて出ていこうとした時に声をかけた。
 そのまま無視をして出ていくかと思いきや、きちんと沖のほうへ向きなおり、
「料理が得意ではないので」
 と返してくれた。しかも、つい最近、仕事の都合でここに引っ越しをしてきたのだという。
「そうなんだ」
「では、失礼します」
 頭を下げて店を出ていく。
 表情は変わらず、真面目な人に思える。おかたい職についているのだろうか。
「駿ちゃん、良く話しかけたねぇ……」
 カウンター席に座っていた常連客の河北(かわきた)が話しかけてくる。
 河北はおしゃべり好きで、いつもなら一番に話しかけていただろう。だが、彼には話しかけにくいようで、様子を窺うだけだった。
「だって、悪い人に見えなんだよね」
「そう思っているのは駿ちゃんだけだよ」
 大袈裟に驚く河北に、沖はただ微笑む。
「まったく。駿ちゃんは優しいから」
 トラブルに巻き込まれないようにね、と、お勘定を置いて店を出て行った。
「ありがとうございました」
 食器を下げて洗い物を済ませる。少し忙しいが一人で回せるくらいの大きさしかないこの店が気に入っている。
「うん。いい食べっぷりの人に悪い人はいない」
 彼がもし悪い人で何か起きたとしても、それは自分の見る目が無かったということで、また来てほしいと思うからそうではないと祈るだけだ。

 彼がどんな仕事をしているかは知らない。毎日顔を見せたかと思えば何日も来ない日もある。
 まぁ、食べっぷりを見たい沖としては、彼が来ない日は残念だと思うくらいにはなっていた。
 さて今日は店に来るだろうか。大抵は八時から閉店近くの間にくるのでそろそろだろう。
 はじめは彼が来ると落ち着かない様子であった常連客も、静かに食事をする彼を気にしなくなった。
 だが、今日に限って河北が出入り口を気にしてそわそわとしていた。
「河北さん、どうしたの?」
「へへ、内緒」
 と唇に人差し指をあてる。
 内緒といわれると余計に気になるが、話してくれるまで待つしかなさそうだ。
 ガラス戸が開いては河北が振り向く。だが、目当ての人がこないようでがっかりとしながら酒を飲む。それを何度か繰り返したのち、大柄な男が店へ入ってきた。例の彼だ。
「いらっしゃい」
 そう声をかけると、ぺこりと小さく頭を下げて、カウンター席へと腰を下ろした。
「待ってたよぉ」
 河北が彼の席の近くへと移動をする。まさか河北が浮き足立っていたんは彼に会いたかったのか。恐がっていたくせに、一体どういう風の吹き回しなのだろう。
「駿ちゃん、ビール追加ね。お兄さんもどう?」
「俺は、定食だけで」
 と断りを入れる。酒が苦手なのかと聞けば、そういう訳ではないとこたえた。
「あぁ、そうか。お兄さん、刑事さんだものね」
「え、そうなの!」
 河北の言葉に驚いた。そして納得もした。だから普通の人と少し違う雰囲気を持っていたのかと。
「昼間にサイレンすごくなかった? あれ、強盗事件だったんだよぉ」
 確かに。パトカーのサイレンが鳴っていた。何かあったのかなとは思っていたが、まさかそれが強盗事件で、しかもその現場に彼がいたとは。
「お昼の休憩だったからさぁ、野次馬してきちゃった」
 それで知っていたのか。流石、河北だ。
「刑事課の郷田一太(ごうだいった)です」
 スーツの懐から名刺を取り出して河北と沖に手渡す。
 本当に刑事なんだと、まじまじと名刺を見つめる。
 年齢を聞くと沖より四つ下で、今年で二十八歳だという。
「実はさ、郷田君って目つき怖いからその筋の人かと思った」
 と冗談を言うように頬を指でなぞると、それに納得するかのように頷いて、
「職場の先輩にも言われます」
 と苦笑いを浮かべる。
「はは。でもさ、郷田君に捕まったらすぐに白状しちゃいそうだよ。ね、駿ちゃん」
 話を振られてうなずいたところで河北さんが自分と沖の紹介をする。
「河北さんが何か隠し事している時には郷田君にお願いしようかな」
 そう笑い、食事を二人の前に出す。
 沖の店で提供する料理は、ワンコインで食べられる日替わり定食しかない。飲み物はビールと日本酒のみでお通しつきだ。
 定食と一緒にお茶をだす。今日のメニューは大根とスペアリブの煮込みだ。
「これ、美味いんだよねぇ。トメさん直伝」
 肉は柔らかく、大根に味が染みている。
「トメさん?」
「あぁ、俺のばぁちゃん。この店の元々の主で料理を教えてくれた人だよ」
 元々、この店は祖母が切り盛りしていた。進学の為に家でお世話になる代わりに店の手伝いをしていたのだが、料理を美味そうに食べる客の姿を見ているうちに自分の店を持ちたいと思うようになっていた。
 大学を卒業してもそのまま祖母の店で働き、料理を覚えた。
 それから十年の年月が流れ、祖母は沖に店を譲り引退し、今は周りの友達と共に旅行したり、ゲートボールをして楽しんでいる。
「日曜日に近くの空き地でゲートボールをしていますか?」
「しているよ。一番小柄で元気なのがうちのばぁちゃん。河北さんのお父さんもメンバーなんですよね」
「そうなんだよ。一番背が高くてひょろっとした眼鏡がうちのオヤジ」
 河北に良く似た背格好をしており、知り合いに「お父さんそっくり」と言われるたびに嫌そうな表情を浮かべていた。
「ていうか、オヤジが言っていた刑事の兄ちゃんって郷田君の事だったのか!」
 強面で大きな図体の刑事の事は父親から聞いていたのだと河北が言う。
「そういえば、名刺も見たよ。刑事さんから貰うの初めてだって親父が自慢してて、名前だけじゃ解らないもんなぁ……」
「そうですよね」
 郷田は見た目こそ強面だが無愛想という訳でもなく、話しかければ返してくれる。
 いつのまにか他の店の常連たちも話しに加わり、郷田は皆に受け入れられていた。