Short Story

アジャン・イモビリエ

 亮汰の祝うために日本に戻ってきたというのに、日がたつにつれ心が重くなっていく。
 無駄に考える時間があるから悪い。店の場所を決めて開店準備をはじめれば忙しさに気がまぎれるだろう。
 亮汰を送り出したあと、桜から貰った名刺に書かれた電話番号へと連絡を入れる。
 すぐにつながり、午後から会う約束をとりつけた。
 それまでに家のことをすませて、昼を食べて朱堂の事務所へと向かった。

 朱堂は話しに聞いていた通りの人だった。しかも気さくで話しやすい。小さな不動産会社の社長で、桜からはやり手の営業マンだと聞いている。
「桜ちゃんの弟で、伊崎君の従兄なんだね。二人から連絡を貰ったんだよ」
 どうやら二人とも朱堂に連絡をしてくれていたようだ。
「何十年かぶりに日本に帰ってきまして、相談したら姉が朱堂さんを紹介してくれて」
「うんうん。本当、桜ちゃんにはお世話になってます」
 と頭を下げる。
「で、お店の物件だよね」
「はい」
「希望を教えてくれるかな」
「わかりました」
 気軽に入れて、さまざまな年齢層に自分の作る料理を楽しんでもらいたい。店はそれほど大きくなくていい。隆也は思いのたけを伝える。
「わかりました。いい場所が見つかったら連絡をするから。あ、そういえば、長谷君って伊崎君の所に住んでいるんだってね。よかったら探すよぉ」
 亮汰と一緒に住んでいることを知っていたのか。抜け目がないなと苦笑いする。
「店が決まってからと思っているので、その時はお願いします」
「はい、こちらこそよろしくね」
 話が終わり、今日はこれでと店を後にする。
 買い物をして帰ってきた後、部屋に戻ってソファーに座っていたらいつの間にか寝落ちしていた。
 スマートフォンの画面を見て、慌てて飛び起きる。
「はぁ、もう17時か」
 夕食の準備をするためにキッチンへと向かう。
 今日はマダラのポワレ・キノコソース添えを作る。
 亮汰が帰ってきてから焼きはじめるので準備だけしておけばいい。
 お米を焚いてサラダを作る。
 風呂を掃除してお湯をはり、バスタオルと着替えを棚の上へと置いた。
「ただいま」
「おかえり」
「誰かが出迎えてくれて、美味しそうな匂いがキッチンからしてきてさ、こういうのいいな」
「何、もうすぐそうなるだろう?」
 唯香と一緒に住むようになれば可愛い奥さんが出迎えてくれて、暖かくて美味しい手料理を食べさせてくれるだろう。
「あ、そうだ。日曜日に実家で唯香の作った夕ご飯を食べよう」
「日曜日ね。わかった」
 どれだけ己惚れる気だ。それでなくとも心中穏やかではないというのに。
 皿を取り出すとき、雑においたせいで食器が大きな音を立てた。
「どうした?」
「なんでもないよ」
 きっと慣れないうちは皿を割ったりして、そのたびに亮汰は心配して唯香の元へ飛んでいくのだろう。だから隆也に対しても同じことをしているにすぎないと、いじけたことをおもってしまう。
 そういうことを考えてはだめだと、小さく息を吐き捨てて、
「今、用意するから」
 座って待っていてと椅子を指さした。

※※※

 物件探しをお願いして二日後のことだ。
 朱堂から連絡を受け、迎えに来てもらい候補地へと向かう。案内されたのは三か所。はじめの二か所は条件に合っていても即決できるほどの魅力がなく、保留にする。そして最後の一件。ビジネス街プラス住宅地といった場所にある。
「気軽に料理を楽しんでもらえるようにしたいと言っていたからね。リーズナブルで美味しい物を食べるとあれば、平日はOLさんやママ友同士で、休日は家族や恋人と食事とかね」
 しかも、元々フランス料理の店であった。リフォームは必要だが、厨房はそのまま使えそうだ。
 ここで店を出すイメージをする。客が美味しそうな表情を浮かべ、そして自分が楽しそうに料理をしている。
「いいですね」
「長谷君に気に入って貰えてよかった」
 といいつつ、隆也が気に入るといるだろうという自信があったように見える。
 チャーミングにウィンクをして見せた。
 渋くて男前な人だけに、そのギャップがたまらない。
 素敵な大人の男性。自分もこうありたいと思わせる、そんな魅力がある。
「それじゃ事務所へ戻ろうか」
「はい」
 朱堂の運転する車で事務所へと戻り、契約をする。
 これからあそこが自分の店となる。
 既に日本で店を持つ、フランスに居た頃の友人が楽しそうに働いていたが、自分も同じような顔をして働ける日がこれからやってくるのだ。
「なんか、じわじわと込み上げてきます」
「一国一城の主になるのだからね。大変だけど、嬉しいよね」
「そうなんですよね」
 今までは使われる身であったが、これからは自分が主となり、従業員を守っていくことになるのだから。
「月並みだけど、頑張れよ」
 と腕をポンとたたいた。
「はい」
 既に自分の店を持ち、立派に経営している人からの労いが、心に沁み込んだ。
「ねぇ、この後なんだけど、ランチをしに行かないかい」
 紹介したいお店があると話す。
「はい、喜んで」
 向かったのは、ホテル内にあるレストランだった。
「フランス料理なんだけど、桜ちゃんのお友達がパティシエをしていてね」
「あぁ、桜ちゃんに聞いたことありますよ」
「すごく美味しいんだよ」
 前にパティシエをしていることは聞いていた。一度、アントルメを食べてみたいと思っていたので楽しみだ。
「彼女の旦那さんはフロアの責任者なんだけど……、いないなぁ」
 メートル・ドテル(フロア責任者)なら、出迎えてくれるはずだが、挨拶にきたのはやたらと顔の良い男だった。
 席に案内されて腰を下ろす。
「あの方が?」
「うんん。確か、彼は以前はギャルソンをしていた気がしたけど……」
「そうなんですか」
 コースメニューを頼み、ワインはソムリエが運んできたが、やけに素っ気なくて別のテーブルへと行ってしまった。
「あぁ、彼は人を選ぶのか」
 質の良い服を着た夫婦には愛想良く答えているのを見て苦笑いをする。
「うーん、こんなだったかなぁ」
 朱堂が首を傾げている。
 料理が運ばれてくる。
 値段は夜のディナーだけあり高めな設定。だが、それだけの価値があるかと聞かれたら無いときっぱり答えてしまいそうだ。
「ごめんね、長谷君」
 申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「いえ。以前はこんなではなかったのでしょう?」
「そうなんだよ。スタッフの評判もよかったし、料理も美味かったから。社長が変わったって聞いたけれど、そのせいかなぁ」
 その可能性はある。朱堂の様子からして、前はとてもよい店だったのだろう。
 それに桜の友達がパティシエをしていると聞いていたが、あのアントルメは料理と同じくごく普通だ。
 あとで桜に聞いてみることにし、金を払い店を出る。
「朱堂さん、今度は居酒屋へいきましょう」
「いいねぇ。伊瀬君も誘って飲もう」
 途中で別れ、隆也は桜に連絡を入れる。
『え、あぁ、そっか、あそこへ行ったんだ。前の社長が亡くなってから評判悪いのよね』
「そこに桜ちゃんの友達が勤めてたんだろ」
『うん。でも辞めちゃったわよ。色々あってね。少しゆっくりしてから勤め先を探すと言っていたけれど……、あ、そうだ。会ってみない? 彼女と旦那さんに』
 これから店を開くのに、何かアドバイスをもらえるかもよと桜がいう。
「あぁ、たのむよ」
『了解。また連絡するね』
 通話が切れ、スマートフォンをポケットへとしまう。
 場所が決まり、これからスタッフの募集をしなければならないが、そのことも相談できたらよい。
 次に連絡がくるのを楽しみにしつつ、亮汰のマンションへと向かった。