寂しがりやの君

謝罪と抱擁

 謝罪させるという橋沼に、必要ないと返事をしたはずだ。それなのに彼がいる。
 挨拶のつもりか、田中に向かって手を振った。
 美術室には来るなと彼にはいわれたが、橋沼はこれからも一緒に飯を食おうなといってくれたから、彼に何をいわれても居座るつもりだ。
 向かいの席に腰を下ろすと、前屈みになり顔を近づけてくる。
 嫌味なほど顔がイイ。女子ならキュンとしていただろう。しかし自分に対しては喧嘩を売っているのではと思えてくる。
「俺は総一のお友達で、尾沢冬弥《おざわとうや》ね。同じクラスに尾沢彰正《おざわあきまさ》っているだろう。それの兄貴だ」
 下の名前までは知らないがクラス委員の名が尾沢という。みた目は地味で兄弟だといわれてもピンとこない。
 しかも葉月と神野とは仲がいいはずだ。もしかすると例のことも彰正から聞いたのだろう。
「へぇ。あ、だから知っていたのか」
「いいや彰正からじゃないぞ。お前と同じクラスに派手な美人がいるだろ。その子から聞いた」
 派手な美人といわれて思い浮かぶのは一人。田中が気になっていた女子だ。
 神野だけではなく冬弥にまで粉をかけていたのか。しかも田中に付きまとわれて怖いとかいっていたらしい。
「お前はああいう女が好きなのか。趣味悪いな」
 たしかにそのとおりだ。そしてかっこつけて葉月に手を出した自分は駄目な奴だ。
「おいおい、女の趣味はどうでもいいだろうよ」
 いじめるんじゃないよと橋沼が田中の頭を抱きかかえた。
 男に守られても嬉しくはない、はずなのに。
 キュン。
 胸が小さく音を立てた。
「甘やかすなよ、コイツのこと」
 冬弥が田中の頭を小突き、橋沼がやめなさいよと口にする。
「田中、彰正の友達に謝れよな」
「冬弥がとやかくいうことじゃない。田中はちゃんとわっている」
 見守っているから、そう耳元でささやいた。
「橋沼さん」
 彼のほうへと顔を向けると優しい目で田中をみていて、じわじわと胸に暖かなものがこみあげた。
「葉月にはきちんと謝るよ」
「おう」
 良くできました。まるでそういっているかのように頭を優しく撫でてくれた。
「はー、甘やかしすぎじゃねぇの」
 呆れたと冬弥がため息をつき、
「俺もそう思うよ」
 田中がそう口にすると、橋沼が得意げな顔をして笑みをこぼす。
「田中もそういっているのだから、冬弥もちゃんとわかっているよな?」
 先ほど田中にいったように、今度は冬弥に告げる。
「わかっているよ。田中、嫌なことをいってごめんな」
 そう頭を少し下げる。悔しいのか、それとも羞恥心からか、頬を赤く染めて教室に戻るといってしまった。
 まさか素直に謝られるとは。意外と素直な人なのだろうか。そんなことを思っていたら、橋沼の腕が首に回り一緒に床に倒れ込んだ。
「うおっ、何!?」
 一体何が起きたのかと首を横にふるう。しかも橋沼が重くて身動きが取れない。
「橋沼さん、苦しい」
 ギブと腕を叩くと、橋沼が田中の耳元に、
「頑張れ」
 と囁いた。

 決意が鈍らないうちに席に戻るときに葉月の机にメモを置いた。
 呼び出しに応じるかどうかもわからないが、それでも来てくれるまでは続けたい。
 そしてメモを置き続けること一週間。
 田中とブニャが出会った裏庭でメモを突きつけてきたのは神野だった。
「どういうつもりだよ」
 二度と関わりあいたくない相手に呼び出されたのだからその反応は当然だ。
「呼び出しに応じてくれてありがとう」
 まずは来てくれたことに礼を言い、
「葉月、あのときは申し訳ありませんでした」
 深く頭を下げた。
「いまさらだ」
 神野の冷たい声。顔をあげると表情までもが冷めていた。
 そのとおりだ。葉月が受けた心の傷を考えると許されることではない。
 あと田中にできることは教師に本当のことを告げることだ。
「今から教師に本当のことを話して……」
「やめろ。もう処分は下りて悟郎が罪をかぶったんだ」
 今更何かをしたところですでに葉月は停学処分になってしまったのだから。
 それに実際は何が起きたかなんて当事者と神野たちしか知らないのだ。後は全て噂でしかない。
 葉月は騒ぎ立てることもなく停学処分を受けたし、本当のことを周りに吹聴したりしなかった。
「すまない」
「俺さ、お前のこと嫌いだった。いちいち絡んできてウザいってな。でも変わったんだな」
 葉月はそういうと自分と田中を交互に指さした。
「お前は俺に謝ろうと、俺はお前を許せると、そう思ったわけだから」
 だからこの件はこれでおしまいだと葉月は何か言いたげな神野をみる。
「悟郎は人が良すぎるよ。この前だって飴を貰って食べたとか信じられない」
「美味かったぞ」
 少々天然な所があるのか。首をかしげる葉月に、神野の表情が柔らかくなる。
「顔、怖くなくなったな」
 葉月は神野の目尻を指でつりあげたり下げたりと弄りはじめると、
「俺だってムカつけば怒るよ」
 笑いながらその手を掴んでやめさせた。
 人前ではキラキラとした王子様のような男が本気で怒った。それだけ葉月が大切で田中に腹が立ったということだ。
 いい関係だ。
 橋沼とそうなれたらと、ふたりが羨ましくて眺めていると、
「おーい田中、仲直りできたか」
 頭上から声をかけられて顔を上げる。
 見守っているからといってくれた。だからベランダからこっそりと眺めていたのかもしれない。
「どうせみていたんだろっ」
「まぁな」
 全部みられていたと思うと恥ずかしい。
「美術部の橋沼先輩か。田中、知り合いだったんだな」
「知っているのか」
「目立つ人だしな。それにコンテストで受賞しただろう」
 たしかに目立つ人だが、受賞のことなど知らなかった。
「え、そうなのか! 葉月は知っていたか?」
「俺に聞くなよ」
 と、どうやら葉月も知らなかったようだ。
「悟郎は他人に関心なさすぎ。田中は女子にしか興味なかったものな」
 たしかに。気になる女子と仲良くなりたくてそればかり考えていた。
「うるせぇよ。男はそんなモンだろう」
「まぁ、そうだね」
 揶揄われるかなとベランダのほうへ視線を向けるが、すでに橋沼の姿はない。
 もう大丈夫だと思ったのだろうか。
 早く会って話がしたい。胸がそわそわとして落ち着かなくなった。
「田中、かわったよな」
「え?」
 いきなりそんなことをいわれて葉月をみる。
「俺は神野でお前は橋沼さん。出会えたことに感謝しろ」
「そうだな」
「えぇ、俺と出会えたことを悟郎は感謝してくれているの?」
 と嬉しそうな声をだして抱きついた。
「ウザっ」
 まとわりつく神野を手で押さえ、
「行けよ。先輩が待っているんだろう」
 葉月がもう片方の手を払うように動かした。
「あぁ。今日は話を聞いてくれてありがとう」
 そう声をかけて橋沼の待つ美術室へと向かった。
 ドアを開けると橋沼が両手を広げて出迎える。その胸におもいきり飛び込むと、しっかりと受け止めてくれた。
「猪突猛進だなぁ」
「言えたよ、橋沼さんっ」
「しっかりとみていたぞ」
 少し興奮気味な田中をなだめるように、大きな手が俺の頭を撫でる。
 これだ。橋沼にこうしてほしかった。
 嬉しいときや悲しいときに傍にいて慰めたり勇気つけたり、抱きしめたり頭を撫でてスキンシップをする。そんなことができる関係になりたかったんだ。
「橋沼さんのお蔭で勇気がもてたんだ。なぁ、俺と、友達になってくれないか?」
 少し照れながらそう口にすると、橋沼は黙ったまま田中をみている。
 なにもいってくれないことに、高ぶっていた気持ちは急降下してしまう。もしかしたら失敗してしまったかもしれない。
 離れようと橋沼の肩を押すが手が震えてしまう。
「ごめん、今のは取消……」
「なんだ、田中と俺は友達じゃなかったんだ」
 言葉が重なり合あい、
「そうなの」
「え、取り消すの?」
 とさらに重なり合った。
 友達だと思っていてくれたから、田中の言葉に驚いたのだろう。
「そっか、友達だったんだ」
 嬉しくて口が緩んでしまう。
「よし、今日から下の名前で呼び合おうか」
 親密度が増すだろうといわれて、葉月たちのような関係に一歩近づけた気がした。
「いいな、それ」
「そうだろう。それじゃ、総一センパイって呼んでごらん」
 可愛くなと橋沼にいわれて、ジト目を向ける。男にいわれても気持ちが悪いだけだろうと。
 完全に遊んでいる。目が笑っているから。
 ムカつくので気持ち悪い思いをさせてやろうと、
「そういちせんぱぁい」
 体をくねらせた後に指でハートの形を作ってやったが、自分にまでダメージが跳ね返ってきた。
 橋沼は口元を手で押さえて震えている。あれは笑っているのだろう。
「くそ、笑ってんじゃねぇよ。リクエストに応じたってぇのに」
「ありがとうな、秀次」
 目尻を下げてみている。橋沼がブニャにみせる顔だ。自分よりも大柄な男が可愛いと思う日がこようなんて。
「特別だぞ」
 ぼそりというと橋沼が髪を乱暴にかきまぜてくる。しかも力強くやるものだから首が右に左にと揺れてしまう。
「うわぁ、やめて」
「わるい、やりすぎたな」
 さすがに橋沼も気が付いたようで手が止まった。
「そうだ。まだ連絡先を交換していなかったよな」
 スマートフォンをポケットから取り出して田中の前で振るう。
 名前呼びの次は連絡先の交換。アドレスに橋沼の名前をみつけて嬉しさがこみあげた。
「そんなに喜んでもらえるなんてな」
 顔に出ていたか。
 恥ずかしくて顔を背けるが、頬に触れる柔らかな感触に一瞬頭が真っ白になった。
 ゆっくりと首を動かして橋沼をみる。
 あれはけして田中が思うようなものではない、はず。
 その箇所へと指で触ると、今度はそこに柔らかいものが触れて、しかもぬるりとした感触までプラスされる。
「うわぁっ、あんた、一体、なに!?」
 動揺して言葉すらきちんとでてこない。
 キスだけではなく指まで舐めるなんて。
「キスは信じたくなさそうだったから。舐めておけば嫌でも意識するかなと」
「そうじゃねぇだろう! なんでキス、してんの」
「懐かないにゃんこが甘えてきたから、つい」
 猫といわれて妙に納得してしまった。そうでなければ男にキスなんてしたいと思わないだろう。
 力が抜けてしゃがみこむ。
「俺だからいいものを。他の人だと勘違いされるぞ」
 口をとがらせ橋沼を軽くにらみつける。
「そうだな。こういうことは秀次だけにする」
 いや、猫扱いは勘弁してほしい。
「やだよ」
「そういわれても、またしてしまうだろうな」
 得意げにいわれて、田中は橋沼のわき腹に軽くグーパンチを食らわせた。