寂しがりやの君

美術室の先輩

 あの頃は気になる女子によい格好をしようと粋がっていた。
 そして学年で一番モテる男・神野《かみの》の隣にいることで自分の価値をあげていたのだ。
 だが上辺だけの付き合いは長くは続かなかった。神野は不良だと怖がられている葉月《はづき》とつるむようになったからだ。
 はじめに気にくわないと言い出したのは神野を狙っていた女子達だ。
 しかも神野のいない田中に価値はないと、女子が話しているのを聞いてしまった。
 何もかもが気にくわない。つるんでいた須々木《すずき》と佐島《さとう》と共に葉月に少し痛い目にあってもらうことにした。
 似たような体格をしているし腕にも自信がある。しかもこちらは三人だ。挑発をして喧嘩を仕掛けるが無視された。
 それならと屋上で弁当を食べているところに邪魔をした。まだ包まれたまま置かれていた弁当を手にとると、包みを解いて弁当の中身を床へとぶちまき踏みつけた。
 しかも元々汚い上履きの底に踏みつぶした弁当がこびりつき、汚れたとそのまま背中を蹴とばしたのだから、さすがに葉月も頭にきたのだろう。
 予想外だったのは葉月が喧嘩慣れをしていて強かったことだ。何発かはいれることができたが一撃の重さは向こうのほうがあった。
 悶え苦しんでいる間に誰かが教師に伝えたようだ。保健室へと連れていかれた後、どうして喧嘩になったのかを尋ねられた。
 きっかけを作ったのは田中なのにそれはいわずに葉月から殴りかかってきたのだと伝えた。都合の悪いことは話さない、全て彼の責任にしたのだ。
 結果、停学処分になったのは葉月だけだ。そのときは気分が良かったが、
「全てを葉月のせいにしたことは許さないからな。田中《たなか》」
 神野に凍りそうなほど冷たい目でみられた。普段はキラキラとした王子様という感じの男は本気で怒ると怖いのだと知った。
 本気で葉月のことが大切で、彼が神野と本当の友情を手に入れたということが羨ましくもあり憎くもあった。
 だから罪悪感など無かった。これで葉月の居場所がなくなる、そう思っていたのに。
 居場所がなくなったのは葉月ではなく田中のほうだった。
 女子たちは自分には関係ないと無視をされ、クラスメイトはよそよそしくなった。
 神野が葉月を選んだことにより、本当は田中が悪い、停学になりたくないから逃れたのだとささやかれるようになった。  一緒に現場にいた須々木と佐島ですら、田中に責任を押し付けて離れていった。

 田中と葉月の立場が逆転した。つい最近まで一人で飯を食っていたのは彼のほうだったというのに。
 裏庭は日陰になっていてあまりひとがいない。昼休みに昼寝をするのに利用していたが、今では学校で一番の安らげる場所となっていた。
 パンを取り出し食べ始めると、がさがさと草がなる音がして驚いてそちらへと顔を向けると、ひょっこりと猫が首を出した。
「なんだよ、猫かよ」
「ニャー」
 随分と縞模様の大きな猫だ。今まで姿をみたことは無かったが、もしかして匂いにつられて出てきたのだろうか。
「おいで」
 手を伸ばすと猫は素直にこちらへと寄ってきた。抱き上げるとずしりと重みを感じる。
「太り過ぎじゃねぇの」
 腹の肉を摘まめば、尻尾をまるで鞭のように腕に当ててくる。
「食うもの……、あ、カレーパンとか食うかな」
 パンの部分だけなら平気だろうかとちぎってあたえようとしていたら、
「待て。パンじゃなくてこいつをやってくれ」
 頭上から声がして、顔を上げたところに落ちた。
「ぬぁ、てめぇっ、て、臭ぇ」
「おー、顔面キャッチ」
 ぱちぱちと拍手と共に、そういわれて腹が立った。
「なにしやがる!」
 二階・廊下のベランダから顔を覗かせる男はみたことのない顔だった。
「ブニャのお昼。食わせてやって」
 ブニャとはこの猫の名前だろうか。
 足元に摺り寄って餌をねだるブニャに、田中はしゃがみ込んで袋の中身を取り出した。
 中には煮干しが入っていて、地面にそれを置くと勢いよく食べはじめた。
「すげぇ食いっぷり」
 その姿に夢中になってみていたら、
「お水」
 いつの間にか側にたっていて驚いた。それにしても、ずいぶんと迫力のある男だ。
 田中だって一八〇センチはあるし体格もよいほうだが、橋沼はそれよりもさらに大きくて一九〇センチ近くはあるのではないだろうか。
 上背だけでなく筋肉質で、胸板も厚く腕や太腿も筋肉が盛り上がっている。まるで格闘技でもしていそうなみた目だった。
「アンタ……」
「アンタじゃない。俺は三年の橋沼総一《はしぬまそういち》だ。君は?」
 ネクタイと上履きの色が自分とは違う。しかも上級生に知り合いはいないので、こんなに目立つ男を知らないのは当たり前だ。
「俺は二年の田中秀次《たなかしゅうじ》だ」
「そうか。飯、ここで食べていたのか」
 食べかけのパンの袋を指さされ、ひとりぼっちだと思われるのもなんなので、
「あぁ。教室、ウルセェし」
 と言葉を返した。
「確かに。なぁ、一緒に食わないか?」
 先ほどまでいた場所を指さして誘われるが、今しがた知り合ったばかりの奴と、しかも上級生とご飯を食べるなんてしたくはない。
「俺はここで食うからいい」
 そう断るが、強い力で手首を握られて目をむいた。
「あぁ?」
 断っただろうと睨みつけるが、橋沼は口元に笑みを浮かべていて、それがきにくわない。
 腕を払い落そうと動かすが、相手の力が強くて全然離れてくれない。
「離せよっ」
「いいから、ひとりで食うより楽しいぞぉ」
 そういうと腕を引っ張った。
 空気が読めないのか。怒りがこみあげてきてパンを持っているほうの手で殴りかかろうとするが、簡単に掌で受け止められてしまった。
「パンがつぶれてしまうぞ」
「てめぇが離さないからっ」
「てめぇじゃなくて橋沼先輩ね。ほら行くよ」
 腕を掴んでいたハズなのに手を握りしめられていて、力も自分より強いから簡単に連れていかれてしまう。
 これは抵抗してもムダなやつだ。
「わかったから離せ」
 そういうと、橋沼の手が離れた。

 美術室の前。授業以外で入ったことはないし、美術部の生徒というわけでもない。関係ない生徒が昼をとるのに使っていい場所ではないはずだ。
「おい」
「大丈夫、俺、部員だし許可は得ている」
 ポケットから鍵を取り出してみせてくれる。ネームタグに美術室と書かれている。
「そのガタイで美術部かよ」
 柔道や空手のような格闘技をしているような体つきだ。
「それな。みた目で判断しては駄目だぞ」
「そうだけどよ」
 これだけよい体つきをしているのだから誘いもあっただろうに。
「格闘技は好きだぞ。でもみる専門」
 と机の上に置かれているプロレス雑誌を指さす。
「最新号じゃん。まだ読んでねぇんだよな」
「お、好きか?」
「あぁ。この前の試合、凄かったな」
 スマートフォンの格闘チャンネルでみた試合のことを口にすると、橋沼はすぐに話に乗ってきた。
 暫く、プロレスの話をした後、雑誌の下に置かれたスケッチブックに視線を向ける。
 そういえば美術室に居るということは絵を描いていたのだろうか。
「なぁ、どんな絵を描くんだ?」
「みるか」
 それを手に取ると田中に渡した。
 絵のことは詳しくはないが上手いということはわかる。
「へー、すげぇ……、え、これって」
 花瓶と花、林檎、彫像、空、鳥、猫、黒く塗りつぶされた何かが続き、描きかけの何か、そして後頭部が続く。
「お前の後頭部」
 まさか自分の後頭部を、しかも何枚もある。今日だけで描いたというわけではなさそうだ。
「俺のことを知っていたのかよ」
「あぁ。この頃、あの場所にきているよな」
 やはり誘われた理由は友達がいないと思われたようだ。空気のように扱うクラスメイトのことが頭の中をよぎり、腹が立って持っていたスケッチブックを机の上に叩きつけた。
「ざけんなっ、ボッチだと思って同情したのかよ」
 先輩面をしただけ。趣味が合いそうだと思ったのに。
 相手の自己満足のために付き合うのはごめんだ。椅子を蹴とばして美術室から出ようとするが、
「同情なんてしてない。後頭部だけでなく真正面からみたくなった」
 勝手に描いてごめんと手を合わせた。
「実は絵が描けなくてな。少し絵から離れてみようと思ったんだが、先生から鍵を渡されてさ。昼休みの間、自由に使っていいぞって。理由は教えてもらえなかったけどな。窓から外を眺めてぼんやりとしていた」
 ブニャがきたら餌をやろうと外を覗いたら田中が居て、しばらくの間ながめていたらしい。
「それから何度かみかけるようになって。どんな子なんだろうって興味が出てきてさ、君をみていたら描きたくなって、で、これな」
 後頭部の絵が描かれたページを開いて指さす。
「何か話すきっかけがないかと思っていたところに、ブニャが出てきて。今がチャンスだなって」
 煮干し入りの袋を顔面キャッチするハメになったわけだ。
 田中に対する感想は、腕の筋肉はイイ感じだそうだ。橋沼と違い胸や腹筋は脱いでみないと解らないだろう。
「は、俺なんかと話したいなんて、ずいぶんと物好きだな」
 そんなことをいう人がいるなんて。口元が緩みかけて必死で耐える。
 クラスメイトに相手をされなくなったからといって、どれだけ人恋しくなっていたのだろう。
 だが、橋沼があれを知ったら田中のことを軽蔑することだろう。
「戻るわ」
「え、昼飯は」
「食う気が失せた」
 今ならまだ大丈夫。たまたま話をしただけ、それですむから。
「そうか。昼は美術室にいるから」
 誘ってくれているのだろう。
 名前を告げたのに態度が変わらなかったということは、まだあのことは知らないのかもしれない。
 また、ここに来てもいいのかと都合よく考えてしまうのは、橋沼と会いたいという気持ちがあるからだろう。
「気が向いたらな」
 と手を挙げて小さく振ると美術室を後にした。