勝利のキス
             電話に出てくれるのだろうか。
             着信拒否にしたのは俺だ。それなのに、今更なにか用かと思われるかもしれない。
             自分勝手でごめん。だけど、今だけはお願いだから出て欲しい。
             呼び出し音が鳴り続ける。心が焦り始めてじりじりとする。
             もう手遅れなのか、総一さん。
             失って気が付くんだな、どれだけ俺の中で大きな存在だったかを。
             通話ボタンを切ろうとした、その時。
            「秀次」
             と俺の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
            「総一さん」
             よかった。つながった。何日かぶりに聞くその声に、俺は泣きそうになった。
             会って話がしたい、だけど胸が詰まり言葉が出てこない。
            「美術室に来い。待ってるから」
             何も言わぬ俺に、そう告げて通話が切れた。
             会ってくれるんだな、俺に。
             でも総一さんの声、怖かった。自分勝手な俺に怒っているのだろう。
             尻込みしそうになる心に拳を当てる。葉月に力を貰っただろう。頑張れ、俺。
             美術室へと向かうと、総一さんの姿が見当たらない。
            「総一さん」
             名を呼ぶと、
            「ここだ」
             と窓から顔を覗かせる。その表情はいつもの総一さんで、怒っているようすはない。
             ベランダにいたのか。そこへと向かい隣に並び立つ。
            「はじめて秀次にあったのはこの場所だった」
             そうだな。あの日、ブニャと総一さんと出会ったんだ。顔ににぼしを落とされたっけ。
            「一緒に弁当を食べるようになって、俺にとって昼休みは特別な時間になった」
            「俺だって、そうだ。教室に居づらくて、ここでブニャに会って、総一さんと昼を過ごせるようになった。楽しくて……」
             総一さんが俺の手を掴み、中へと入っていく。そして立ち止まると抱きしめられた。
            「ずっと寂しかったぞ」
             俺も、寂しかった。
            「ごめん」
 
            「恋人として無理だとしても、友達でいて欲しい、俺はそう言った」
             あぁ、そういってくれたよな。
 
            「……ごめん」
            「けして恋人になれなくても、お前が傍にいない方が辛いよ、俺は」
             だから、友達としてやり直させてほしいと言われる。
            「ごめん、無理だ」
             だって、友達という感情じゃ、収まりきれないから。
            「それも、駄目なのか」
 総一さんの表情が強張る。
 そんな顔をしないでくれよ。俺はそっと総一さんの頬に手を振れると、驚いたか肩が小さく揺れた。
「あぁ、駄目だよ。友達よりも欲しいものがあるから」
 と言った途端、目を大きく見開いた。
「それって……」
 暗かった表情が、微かに変化する。
 それは、
「恋人にしてほしい」
 と、その言葉を聞いた瞬間に、柔らかなものへとかわった。
            「はぁぁ、心臓に悪いぞ、秀次」
             完全に振られたかと思ったと、肩に頭をのせる。
            「もう、何があっても離れねぇよ」
            「そうだぞ。約束しろ。俺に寂しい思いをさせないって」
             顔をあげて俺の額へと額をくっつける。
            「誓うよ」
             手を掴み指を絡ませて、ゆっくりと唇が触れた。
            「指輪があれば結婚式みたいだな」
             ほう、と息を吐き、そう呟くと、
            「指輪はないけれど」
             とポケットの中から赤のペンを取り出し、俺と総一さんの小指にぐるりと円を描いた。
            「運命の赤い糸、なんてな」
            「ばっかじゃねぇの」
             恥ずかしい。しかもハートマークまで描かれていた。
            「ちょっと」
            「愛してるって証」
             何だよそれ。しかも俺の方だけって!
            「じゃぁ、総一さんの方にも描けよな」
             ペンを奪おうとするが、とらせないと上へと手を伸ばす。
             つま先立ちしても届かない。くそ、デカすぎるんだよ。
            「だめ、これは秀次だけ」
            「ずりぃ。俺も愛してるって証をつけさせろ」
             可愛いハートマークを指につけてやる。そう思ったのに、
            「わかった。ここにマーキングしていいぞ」
             と鎖骨を指さした。
            「なっ、ふざけんな」
             それって、キスマークをつけろという催促かよ!
             あー、顔が熱いわっ。
            「ま、次のお楽しみってことで」
             頼んだぞと頭をぽんと叩かれる。
            「は、噛み痕をつけてやらぁ」
             照れ隠しに強がって、そう口にすると、
            「約束な」
             と、俺の手を取り、小指のハートマークに口づけた。
 赤ペンの指輪は、風呂にはいったら消えてしまった。
             赤い糸が切れたぞと、小指の画像を送ったら、次の日、赤い刺繍糸で編んだものを小指にはめられた。
            「これで消えないだろう?」
             と口角をあげる。
            「消えねぇけど、恥ずかしいだろ」
            「お揃いのリングを買うまで、それで我慢して」
             なんて、さらりと言いやがる。
            「はめねぇからな」
            「えぇ、秀次好みの、見つけたんだけど」
             とスマホの画面をこちらへと向けた。
             う、確かに俺好みな……。
            「利刀さんから、お勧めの店を教えて貰った」
            「え、利刀? なんで」
             利刀って、あの利刀だよな? なんか、随分と親しげな感じだけど、まさか知り合いかよ。
            「実はさ、従兄が利刀のメディカルトレーナーをしていてな。昔は練習を見学しにつれていってもらっていた」
             なに、それ、すげぇ羨ましいんだけど。
             それにしても、知り合いだってなんで教えてくれないんだよ。
            「教えてくれてもよかっただろ」
            「悪い」
             会わせろと言いそうだなって思っていたんだろ。だから秘密にしていたんだな。
             そりゃ言うに決まってるだろう! 近くで見てぇよ、技を掛けているところ。
            「今度、従兄に頼んでみるから」
            「期待してっからな」
             美代子さんに会う以外に楽しみがもう一つ増えた。
            「嬉しそうだな」
             と、俺とは逆に総一さんはつまらなそうだ。
            「言っておくけど、会えるのは嬉しいけど、総一さんが一緒だから、だぞ」
            「まったく。お前は可愛い事を言ってくれるなぁ」
             総一さんが俺を後ろから抱きしめ、首のあたりに顔を摺り寄せる。
             弁当は食い終えている。だから時間までこのままでいいかと俺は身をあずけた。
            「イチャイチャタイム」
            「なんだ、その恥ずかしネーミング」
            「いいだろう、二人きりなんだし」
             そうだけど、こっちが照れる。
            「で、なんで俺のシャツのボタンを外すんだ?」
             まったく、油断ならねぇな。総一さんの手を掴み、やめさせようとするが、
            「上半身を描こうかと」
             と傍に置いてあるスケッチブックを広げて見せる。後頭部の後に弁当のおかず、食いかけのパン、俺の手、唇、シャツの隙間から見える鎖骨……、おい、何描いてんだよ。
            「なんだよこれ」
            「え、秀次の手に、唇に、鎖骨、今日はここを」
             と手がいやらしい動きで胸を撫でる。
            「おぉい、誰が触ってイイといった?」
            「ん、目の前にあったら触るだろ?」
             と修一さんの手が俺の胸を揉む。
            「総一さん、無い胸を揉むのヤメて欲しいんですけど」
             女じゃあるまいし。柔らかくもないのに揉んでもつまらないだろうが。
            「弄っているうちに良くなるって言っていたんだけどな」
            「へぇ、それって自分ので試したのか、そういう相手でもいるのかよ」
            「冬弥が言っていたから」
             なんだ、冬弥さんかよ。あの人、節操なしそうだものな。
             ホッと息をはくと、総一さんがにやにやとした表情で俺を見ていた。
            「何」
            「今、嫉妬したよな」
             うっ、その通りだよ、悪いか。
             総一さんだけじゃなく、俺だって好きな人を独占してぇし。
             でも俺は素直にそうとは言えなくて、
            「ともかく、これ以上さわるなら、膝十字固めな」
             と話を元へと戻した。
            「わかったよ」
             それ以上、しつこく聞かれる事は無く、手が離れた。
             俺は急いでシャツのボタンをとめ、
            「総一さんは待てを覚えような」
             まるでワンコにマテをさせるように、顔の前に掌を向ける。
            「おいおい、俺はワンコじゃないぞ」
            「前に、匂いを嗅がれたし」
             十分、ワンコっぽかったぞと言うと、
            「ワンワン」
             そうやってふざけながら俺にじゃれつく。首の付け根に鼻を近づけ、それがくすぐったい。
            「秀次のそういうところだよ、俺が我慢できなくなるのは」
             そういうところって、どこよ。自分じゃ解らねぇよ。            
             総一さんの頭をかき混ぜるように撫でると、首を舐められた。
            「うわ、ちょっと」
             驚いて頭を押すと、唇を舐める姿が目に入る。
             あれは、得物を前に食べる気満々の肉食獣、みたいな。
            「膝十字固めっ」
             してやるつもりだったのに、技じゃなくて言葉しか出ない。
            「やってほしいのか」
            「そんなわけあるか」
             だめだ、俺自体が墓穴をほってるな。
            「隙だらけで、押しに弱くて、少し天然な所、好きだぞ」
             く、ムカつく。
             悔しまみれにヘッドロックを掛けて降参を狙えば、そのまま床に押さえ込まれる。
            「総一さん」
             ワン・ツー・スリーとカウントを取り、
            「俺の勝ちだな」
             と口角をあげる。
            「勝利のキス」
             唇を指でとんと叩き、俺にキスを促す。
             総一さんには敵わないわ。
             口元が緩む。彼の持つ雰囲気が、俺の心をほっこりとさせる。
            「はいはい、おめでとさーん」
             俺は首に腕を回すと総一さんの唇へ、勝利のキスを贈った。