甘える君は可愛い

ワンコな部下と冷たい上司

 松尾雅臣(まつおまさおみ)は男にも女にも好かれる性格をしている。
 コミュニケーション能力も高い。上司にも同僚にも好かれ、彼の周りには笑顔が絶えない。
 杉浦征二(すぎうらせいじ)にとって、仕事が出来るのは当たり前、顔や性格はどうでもいいことだ。
 特に仲良くするつもりはない。いつもそっけない態度をとるのに、何故か懐かれてしまった。
 今日も昼食を一緒にいかがですかと誘われた。
「松尾君、私は結構ですから。皆さんと一緒にどうぞ」
 仕事以外で彼と話をするつもりはない。
 昼休みは八潮に教えて貰った喫茶店へ行こうと思っていた。なのに一緒に蕎麦屋に行きましょうと、笑顔を浮かべながら松尾が傍に立っている。
「俺は杉浦課長と一緒に行きたいんです」
「迷惑ですから」
 冷たくあしらうのだが、次は必ず一緒に行きましょうと言い残して去っていく。そして、言葉のとおり誘ってくるのだ。
 めげることなくそれを毎日繰り返し、それでも杉浦は一緒にいくとは言わなかった。

 杉浦にとって癒される時間は和菓子を食べている時、お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読むときだ。
 会社は金の為に働くだけであり、松尾のように誰とでも仲良くなろうなんて思わない。
 自分の部下は性格が良かろうが悪かろうが有能であればいい。それ以外に求めるものはない。
 なので、松尾を良い部下と言う同僚の気持ちが解らないでいた。
 どんなに冷たく扱おうが松尾は杉浦を誘おうとする。仕事以外で話しかけないでほしい。
「お一人で……」
「あらら、杉浦君、つれないねぇ」
 何度目かの誘いを断ろうとしていた所に、喫煙室から出てきた八潮(やしお)が口をはさむ。
「八潮課長」
 その姿を見た瞬間、松尾の表情が明るくなる。
 八潮は研修の時の教育係であり、色々と世話にもなった事もある。それ故に頭が上がらない。
 しかも、松尾の元上司でもあるので、彼の事が心配でもあるのだろう。
「一緒に食事くらいしてあげなさいな。ねぇ、松尾君」
「そうですよね」
 味方ができたとばかりに松尾が再び行きましょうよと誘いだす。
「はぁ」
 嫌な展開になってきたなと思っていれば、
「あ、僕も一緒に良いかな?」
 と言われ、これは断れないと覚悟をするしかない。
「わかりました」
「よっしゃ、念願の杉浦課長と一緒にお昼ランチっ。しかも八潮課長も一緒だなんて嬉しすぎですよ」
 何がそんなに嬉しいのか、松尾を冷ややに見る。
「あと一人、誘ってもいいかな?」
「俺は構いません」
「私も別に良いですよ」
 一人増えようが、迷惑である事にはかわりないのだから。
 向かう先は前に誘われた蕎麦屋だ。八潮が誘った相手は彼と同じ部署の三木本(みきもと)だった。
 杉浦が自分の部署に欲しいと思っている人物の一人だ。彼は見た目が怖いと言われているが、まじめで仕事もできる。
 会話は主に三人でしていた。元々、同じ部署なので面識があるからだ。
「ねぇ、三木本君はそば打ちできるの?」
「はい。今度、打ちますよ」
「いいねぇ、楽しみにしてる」
 八潮の部署は皆が仲が良くて一緒に飲みに行くらしい。それ故にそれが抜ききれる松尾がやたらと自分に構ってくるのだろう。本当に迷惑な事だ。
「八潮課長と三木本さんって仲良しですよねぇ。羨ましいです」
 ちらっとこちらを見る松尾に、あえて気が付いていても目を合わさない。
 それに気がついたか、がっくりと肩を落とした。
「杉浦君、松尾君は今は君の所の部下なんだから、もうちょっと付き合ってあげなさいな」
「お断りします」
「冷たいねぇ。松尾君、うちのワンコちゃん……、あ、久世君ね、彼みたくて可愛いのに」
 わんこちゃんとか、他の部署なんて余計にどうでもいいことだ。
「はぁ」
 それに仕事をしにきているのに、その人が可愛いとかどうとか必要あるのか?
「よし、杉浦君、毎週金曜日は松尾君と食事を一緒にする事っ」
「え?」
 何を勝手に決めているのか。流石にそれは無理だ。
「良いですね、そうしましょうよ」
「八潮さん、勝手な事を」
 行きたくない。それだけはハッキリと言わなくてはいけないのに、
「君には必要な事だよ。だから、松尾君、金曜になったら杉浦君をよろしくね」
「はい、頑張ります!」
 口をはさむ間もなく、結局は金曜に松尾と共に過ごす流れとなってしまった。

 杉浦は行くとは返事をしていないが、きっぱりと断らなかったのも悪い。
 いつもなら言えた言葉も、相手が八潮だと言えなくなってしまう。
「杉浦課長とご一緒出来るなんて嬉しいです」
 やたらと楽しそうな松尾にウンザリしながら、杉浦はいつものようにつれない対応をする。
「食事をするだけですよ。貴方と会話を楽しむような事はありませんので」
「えぇ。では、俺が勝手に話すのは良いでしょうか?」
 それこそ迷惑な話だ。
「食事中は静かにお願いします」
「……解りました」
 それは、渋々と承知するといった感じであった。
 食事をするところは任せて欲しいと言われたが、何処へ連れて行かれるのかとヒヤヒヤした。
 だが、向かった先は雰囲気の良い料理屋で、仕切りがついていて他人の目を気にしなくていい。
「ほぅ」
 意外だと松尾を見れば、小さくガッツポーズをして見せる。
「何を食べます?」
 メニューを手渡され、興味深い料理名が並ぶ。
「ここは独創性のある創作料理が多いんですよ」
「そうですか」
 確かに興味がそそられるような料理名が並ぶ。だが、杉浦の目はついデザートの部分に向けられてしまう。
「美味そうですね」
 それに気が付いた松尾がメニューを指さし、
「季節のものを使った和菓子はお勧めですよ」
 と、前に食べた時はこんなだったと説明をする。
「それは楽しみです」
 注文を済ませて料理を待つ。
 会話をするつもりなどなかったのに、短いながらも話をしていた。
 はっと我に返り相手を見れば、口元を緩めていた。
「何、にやにやとしているんですか。調子に乗らないでください」
 睨みつけるがそれでも嬉しそうな顔をやめない。これではうまくペースにのせられてしまいそうだ。
 もう話さないとばかりに唇をきつく結ぶ。拳を握りしめ身動きもせずに料理を待つ。
 そんな杉浦の事を黙って松尾は見ていて、その視線が鬱陶しくて顔をそむける。
 重苦しくて嫌な空気だ。
 ここに座っているのが苦痛になってきて煙草を吸いたくなってきたが、
「失礼します」
 襖が開き、給仕が料理を運んできた。その瞬間、落ち着かなかった気持ちが消えた。
「頂きます」
 と手を合わせる松尾の声に、合わせるように杉浦も手を合わせた。
「う~ん、おいしい」
 本当に美味そうな表情をしていて、それをみた杉浦も一口料理を運ぶ。
「本当ですね」
「ですよね、あ、これも良い味ですよ」
 意外な組み合わせが、互いの味を邪魔せずに上手く混ざり合う。
「えぇ、そうですね」
 あっという間に平らげてデザートを堪能する。松尾が言う通りで見た目も味も最高であった。
 支払いは別々に済ませて店を出た所で別れたかったが、駅まで向かうのは同じなので松尾が後ろからついてくる。
「課長とこうして並んで歩いているのが夢のようです」
「そうですか」
 くだらないと思ったが、美味い料理を食べた後で気分が少し良い。なのでそれを口にするのはやめた。
「八潮課長に感謝しないといけませんね」
「私は迷惑していますけどね」
 あの時、あんな事を言いださなければ、今、こうして彼と一緒に歩く事は無かっただろう。だが、あの店を知る事は出来なかった。
「ですが、あの店は気に入りました」
「そう言って貰えてよかったです」
「よい仕事をするので」
「……杉浦課長って仕事が出来るかできないかですよね」
 それ以外に何があると言うのだろうか。
 訳が分からないと顔を顰めれば、松尾はそれに対して何も答えない。
 特に答えが欲しい訳ではないので、後は黙って駅まで向かった。