甘える君は可愛い

上司と部下の「恋」模様

 それから数日後。久世に料理を教えるためにキッチンをかしてほしいと波多から頼まれたのは、一緒に部屋飲みをしてから数日後のことだ。
 三木本の家のキッチンはリフォームをして使いやすくなった。それはいつか八潮に手料理を食べさせたいという思いがあっての事だったのだが、部屋に誘う事が出来ずにまだ手料理を作ってあげたことが無い。
 使わないと勿体ないので、うちでよければと了承したのだが、その時、
『明日の昼休みに、三木本から久世に話しをしておいてくれないか?』
 と頼まれてた。何故、自分がと思ったが、その時は特に理由を問わずに了承した。

 昼食は出来るだけ八潮と共に摂るようにしている。
「うーん、揚げ物が食べたいけど、多いよねぇ」
「ならば俺がフライセットを頼みますから、好きなの食べて下さい」
「良いの? じゃぁ、僕は半ライスとサラダにしようかな」
 相変わらず食が細いが食べないよりはましだ。
 食事を受け取り席につこうとした時、一人きりでいる久世を見かけて八潮が声を掛ける。
 波多から頼まれたことを告げるのに丁度良い。
「そうだ。料理教室な、俺の所でやることになったから」
 その言葉に、何故か久世はホッとした表情を浮かべた。
「波多さん、教えてくれないから。どんな人かと思ってましたよ」
 どうやら波多から、料理教室にもう一人参加するとになったとしか聞いていなかったらしく、その相手は誰なのかと気になっていたのだと言う。
「なんだ、それすら話してなかったのか。昨日、キッチンを貸して欲しいと連絡を貰ってな」
 多分、久世に相手は三木本だという事を言わなかったのはわざとだろう。少し意地が悪いぞと心の中で呟く。
「そうだったんですね。三木本さんのお家、はじめてですね。楽しみです」
 安心しきったように笑顔でそう言われ、久世のこういう所は可愛いなと思う。
 そんな二人のやりとりを聞いていた八潮が、
「なんか楽しそうだねぇ」
 と目を細めて羨ましそうに見ている。
「そうだ。八潮課長も一緒に習いましょうよ」
 そう誘いを入れる久世に、三木本はナイスとテーブルの下で親指をたてる。
「そうだね。美味しいモノが食べられそうだし」
 混ぜて貰おうかなと微笑む。
 八潮が参加する。
 手料理を振る舞える機会を得たのだ。
 少しでも自分の作った物を気に入ってもらえたらいい。

※※※

 初めの日はきちんと料理を作ることに参加していた八潮だが、二回目以降からは何もせずに見ているだけになった。
 それも数回続くと誰も何も言わなくなった。
 はじめから三木本は八潮がここにいてくれるだけで嬉しいのだし、波多は久世に料理を教えるのに忙しいので八潮には構っていられないのだろう。
 この頃は八潮の為につまみを作るのが三木本の仕事となった。
「僕はね、皆が料理をする姿を眺めながらお酒を飲むのがイイんだよね」
「そうですか」
 八潮の目と舌を楽しませるような料理を作ろうと、前の日に何を作ろうか本を読み、味を確かめるために一度作ってみる。
 折角、食べて貰うのに舌に合わなくて気を使わせるような事をしたくないからだ。
 そして自分の中でOKをだしたものを八潮の前に出すのだ。
「わぁ、すごい!」
 と、目を輝かせて箸をつける。
「美味しいよ」
 目尻を下げて口元を綻ばす八潮に、口に合って良かったと三木本は胸をなでおろす。
「よかったです。では夕飯作りを手伝ってきますね」
「うん。楽しみにしているよ」
 つまみを作り終えたので波多たちの方を手伝う。今日は出汁のきいた和食を作る。
 これは八潮のリクエストで、何を作るかは三木本が決めた。
 出来上がった料理は八潮の口にあったようで、美味しいと言いながらいつもよりもたくさん食べてくれた。
「御馳走様でした」
 と満足げに微笑んで箸をおく。
 そんな八潮をみて、三木本は嬉しそうに目元を細めた。
「三木本は課長の好みの味を良く知ってますからね。そうだ、たまに料理を作りに行ってやれば?」
 その言葉に躊躇う。
「波多、何を言いだすんだ」
「流石にそこまでは迷惑をかけられないよ」
 と八潮の声と重なり合う。
(ほら、そうなるだろう)
 三木本が好意を持っている事は知っているのだ。そこまでしたらあからさますぎる。
 余計な事を言うなと波多を睨みつければ、
「とは言いつつも……、家事は苦手だから、そうしてくれたら助かるかな」
 後に続いた言葉に、驚きながらも嬉しくて表情に出てしまう。
 もしも本気ならば自分はなんだってするつもりだ。
「はい。料理だけでなく掃除も洗濯も得意ですから、使ってやってください」
 だから素直にそう口にしたのだが、八潮の表情が曇りだしてしまう。
 しまったと思った時にはもう遅い。
 本気でそう思っていないのに、口にしただけなのだろう。
 折角の良い空気が悪い方へと向かい、三木本は血の気を失う。
 そんな空気を感じ取ったか、波多がどうにか誤魔化そうと口を開きかけるが、
「波多君、久世君、申し訳ないけれど三木本君と二人きりにさせて貰えるかな?」
 と八潮が言葉をきる。
「あ、はい。帰るぞ、久世」
 久世のネクタイを掴み引っ張っていく。
「え、あ、お疲れ様でした」
 そう久世が頭を下げ、二人は玄関から出て行った。
 後には重苦しい空気と沈黙だけが残り、耐え切れずに食べ終わった食器を片づけようと席を立つ。
「ごめんね。折角の楽しい時間だったのに」
 さっきの事が嘘だっだかのようにいつもの八潮の笑顔がそこにあり、だが、それでも気まずい空気のままで、黙々と食器の片づけをする。
「三木本君、それが終わったらお話でもしようか」
 と言われ、八潮の方を向くことが出来ずにそのまま頷いた。