年下ワンコとご主人様
この頃、波多翔真(はたしょうま)にはお気に入りの喫茶店がある。
オーナーである江藤は自分よりも二つ上の三十二歳。
彼から直接聞いたわけではないが、波多と同類だろう。それについては何となく気が付いてしまうもので、きっと彼も同じだと思う。
彼の傍はとても癒され、もしも彼にパートナーがいないのなら立候補したいと思い、まずは近づくことからと名前を聞きだしたのはつい最近だ。
名前は知っていても、まだ二人は喫茶店のオーナーとその客という間柄でしかない。
それでも、あきらかに交わす会話は増えてきた。
「波多さん、そろそろ会社に戻らないと駄目じゃないですか?」
「あぁ、もうそんな時間か」
ニッコリと微笑む彼に、名残惜しいが席を立つ。
「また来ますね」
「お待ちしております」
その言葉に浮かれつつ、店を出て会社へと戻っていった。
だが、彼に告白するまもなく失恋をしてしまった。
次の日、いつものように喫茶店へと向かったのだが、カウンター席には江藤と親しげに話をする男がおり、しかも互いを見る目は明らかに恋をしているというような色を持つ。
あぁ、既に恋人がいるのか。
江藤のもつ雰囲気に惹かれたのは自分だけではなかったのだ。
相手がいたのは残念だが、江藤の事は良いなと思った程度なので傷は浅い。これからは心を癒すために喫茶店へ通おう。
「波多さん、いらっしゃい」
「こんにちは。珈琲お願いします」
「畏まりました」
カウンターから少し離れたテーブル席に腰をおろし、スマートフォンを取り出す。
いつもは江藤と話をしているのだが、今日は珈琲が運ばれてくるまで仕事をしていよう。
メールのチェックを始めた所で、ドアベルが来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
江藤の声の後に、
「波多さん、見つけましたよ」
と声を掛けられ。その声は嫌というほど聞き覚えがあり、そこには後輩の久世大輝(くぜだいき)が笑顔で席へと近寄ってきた。
あぁ、嫌な奴に見つかった。社内にいると久世が鬱陶しいので出来るだけ外に出るようにしていた。で、見つけたのがこの喫茶店だったのに。
話す二人のタイミングを見計らい、
「何かご注文がございましたらお声かけくださいね」
と江藤が声を掛けてよこす。
「はい! あ、ここって何か食べるものはありますか?」
「平日のみ、お昼のパンサービスをやっているのですが、今日はもう終わってしまいました」
目立つところに「お昼のパンのサービス」の張り紙があり、そこには今日の分は終了しましたの文字がある。
「残念だな。じゃぁ、何か甘い飲み物をお願いします」
「お任せで良いでしょうか?」
「はい、それでお願いします」
相当、お腹が空いているようで。腹を摩りながらしょんぼりと腰を下ろす。
「そんなに腹が減ってるなら他に行け」
確か近くに牛丼のチェーン店があったはずだ。
ここに居て欲しくないのでどうにか追い出そうとするが、
「波多さんが行くなら」
とじっと見つめられる。
「はっ、俺は行かねぇよ。飯は食ったからな」
ここに来る前にコンビニのおにぎりを食べてきたので腹は空いていない。
なので一人で行けと外を指さす。
「うう、せつない……」
久世がそう呟いてテーブルに頬をつけ、波多を見上げる。
ここに会社の女子が居たら可愛いとチヤホヤされるだろうが、波多にはムカつくだけだ。
「お待たせいたしました……、えっと」
江藤がお盆を手に、困ったとばかりの表情を浮かべている。
「あ、すみません。ここに置いて下さい!」
それに気が付いた久世があわてて顔を上げてスペースをあけた。
「はい。カフェモカです」
たっぷりなクリームがのせられたカフェモカに、
「わぁ、クリームがいっぱい。嬉しいです」
とまるで女子のようにはしゃぐ久世だ。
そういえばと女子社員からお菓子を貰って喜んでいたっけなと思いだす。
長身でイケメンな甘党。しかもハイスペックで同僚にも好かれている。
波多は久世よりも頭一つ分低く、そして平凡な顔達だ。仕事の面ではまだ辛うじて負けいていない、な程度。
本当、いけ好かない。
「喜んで頂けて良かったです。では、失礼いたします」
「はい。ありがとうございます! では、頂きます」
見ているだけで胸やけのしそうな甘い飲み物を一口。
「んん、美味しい」
口元が緩み目がトロンと垂れる。
「今度は一緒に来ましょうね」
パンも気になりますと、ニッコリと笑う。
(くそ、ムカつくなコイツ)
久世の言葉を無視し、波多はブラック珈琲を口にする。
頬が熱いのは、温かい珈琲のせいだ。
膝をつきながら、そう自分に言い聞かせて。
「ほら、さっさと飲め」
と手を払い煽る。
「はぁい」
それでもゆっくりと飲む久世に、波多は自分が珈琲を飲み終わると席を立つ。
「ごちそうさまでした」
自分の分の伝票を手にし、会計に向かう。
「え、待って」
あわててカフェモカを飲み干し、伝票を手にする久世。それを放って外へ出た。
「波多さん!!」
店を飛び出し走ってくるが、波多は足を止める事無く歩き続ける。
途中でコンビニに寄らないといけないな。
久世は大飯食らいだ。昼を抜いたと女子社員が知ったらお菓子を手にまとわりついてきそうだし、上司や同僚からは、ちゃんと面倒を見てやれと言われてしまうだろう。
甘ったれなこの男は、周りにも好かれているのだ。
※※※
あれはまだ久世が新人だった頃だ。
波多と同じ部署に配属され、指導員として面倒を見ることになった。
彼は人懐っこい性格で、甘えてこられるとそれが可愛くて、つい、甘やかしてしまう。
食事の時は彼の好物があるとそっと皿にのせてやったり、抱きついてきたり肩に顔を埋めてきたりすれば頭を撫でてやった。
二人でいる時間がとても幸せで。ノンケである彼を好きになってはいけないと思いながらも、心が惹かれてはじめていた。
だが、ある日、外回りのついでに女子に手土産を買うことになり、お勧めの洋菓子店がある連れて行かれ。
その店は、大人向けといった雰囲気で、落ち着きがあり男でも入りやすい店だった。
「へぇ、良い店だな」
「そうでしょう! 実は俺の彼女の店なんです」
と、ガラス張りの調理場でケーキを作る女性へ手を振る。
久世に気が付いたか、彼女はが頭を下げる。とても笑顔が暖かく、母性を感じさせる人だ。
「へぇ……、優しそうな、人だな」
どうにかそう言うと、久世は嬉しそうに頷いた。
息苦しい。
ここに居たくない。
逃げる口実をと携帯を取り出し、
「悪い、俺、ちょっと外にいるわ」
仕事のメールと言うと、久世は解りましたと簡単に嘘を信じる。
電話をするふりをしながらじくじくと痛む胸を押さえた。
久世はただ彼女を波多に紹介したのは喜んでもらえると思ったからだろうか。
あまり反応をしなかった事に、残念そうな顔をしていたから。
それ所か、結局、あれから忙しいふりをして久世と必要最低限の会話しかしなかった。
一緒にいると辛いだけ。
気持ちを保つためには久世を突き放すしかない。
いつものように甘えてくる彼に、
「そろそろ甘やかすのは終わりな」
仕事に慣れてきただろうと、冷たく接する。
まるで捨てられた子犬のように見つめてきたが無視だ。
「なんで、今まで優しくしてくれたのに」
いきなりの豹変した態度に戸惑う久世に、彼女がいる癖に、と、怒りさえ浮かんでくる。
それはただの八つ当たりに過ぎないが、その時は自分勝手な怒りを久世にぶつけていた。
「甘ったれたこと言ってるな! もう少しで研修も終わりなんだ。この先、そんなんじゃ困るだろ?」
これで自分の事を嫌いになってくれたらいい。
なのに、
「俺の事を思って、なんですね」
何を勘違いしたか目をキラキラとさせ、解りましたと頷いた。
自分に都合の良い解釈をする(というか本気で思っている)久世に、流石に呆気にとられた。
「波多さん、良い人ですね」
大好きですと、余計に懐かれるようになってしまった。
何度、つれない態度をとってもめげることがない。
久世という男のしつこさにはウンザリとする。
そんな二人を、周りの同僚は「犬と飼い主だな」と言い、久世はその言葉を気にすることなくまとわりつくので、それが定着してしまったのだ。