カラメル

愛してる

 待ち合わせ場所へと向かう途中、窓際に座る秀一郎の姿を見つけ、向こうも俺に気が付いたようで手を振る。
「お待たせ」
 そういうと隣へと腰を下ろした。
「ここのカウンターの席って外からでもわかりやすいから、待ち合わせをする時はいつもここだよね」
「そうそう。懐かしいよな」
 何かを食べながら、相手が来るのを眺めていたっけな。
 もう、十年も前の事だ。今こうしてこの場所にいると、学生時代の自分たちに戻ったような気持ちとなる。俺達も歳をとったなと笑いあい、そろそろ移動しようかとなった。
「どこで飲む?」
「そうだな、落ち着いたところで飲みたい」
 学生時代はこのファーストフード店のような騒がしさが好きだった。それに最近までは居酒屋の騒音なんて特に気にもならなかった。だが今は落ち着いた場所が良い。これは渡部さんの影響かもしれない。
 ふっと、勇人とのやりとりを思い出してしまい、熱くなる頬を包み込む。
「恭くん、どうしたの?」
 と、顔を覗きこまれ、俺は秀一郎の背中を軽く押して、行くぞと出入り口に向かった。

 一度行ってみたい店があるのだと秀一郎が連れていってくれた店は、落ち着いた雰囲気が漂い、期待できそうだなと思いながら暖簾をくぐり中へと入る。
「いらっしゃいませ」
 明るい声が店内を包む。
 席数は少なく、席と席の間は大きな仕切が席を囲むようにしてあり、隣の席の人は見えない作りだ。
 隣を気にすることなく、酒を飲んだり話をしたりするのに最高だ。
「いい所だな。誰に聞いた?」
「ここはねぇ、悠馬くんに……、あっ!」
 秀一郎が向ける視線の先。俺もつられてそちらに目を向ける。
 すると、丁度、席を立ったところの乍(ながら)君の姿があり、そしてもう一人、その姿を見た瞬間に胸が波打つ。
 目を見開いたまま、動けないでいる俺。そして、視線がぶつかり合った。
「渡部さん、悠馬くん」
 秀一郎が二人の傍へと寄り、乍君が嫌そうな表情を浮かべ、渡部さんがふわりと微笑む。
「奇遇ですね」
 と、秀一郎と俺に声を掛ける。
「ええ、本当に」
 自分の気持ちに気づいてしまったせいか、渡部さんの事を妙に意識してしまい、視線を合わせることが出来ない。
 しかも、渡部さんは秀一郎と話しをしている筈なのに、時折、視線を感じるのだ。
 見ないで欲しい。
 胸が締め付けられそうなほど、苦しくてたまらない。
 俯いている俺に、渡部さんは優しい声で、こんにちはと挨拶をする。
「ど、どうも……」
 どうにか挨拶を返すことは出来たが、目もあわせないしそっけない態度で、感じの悪いものとなってしまった。これではダメだと解ってはいてもうまくいかない。
「もしかして帰る所ですか?」
「ええ」
 それを聞いてホッとしたが、
「あの、折角ですし。ここで会えたのですから、一緒に飲みません?」
 秀一郎がそんな事を言いだして、俺は慌ててそれを止めようとするが、
「良いですね、そうしましょう」
 と渡部さんの返事に、一緒に飲む流れとなってしまった。
「俺は帰りますから」
 嫌そうな顔を隠すことなく乍君が帰ると言いだして、このまま二人とも帰る流れとなればいいと思っていたのに、
「駄目、帰らせないもん!」
 秀一郎が乍君の腕を取り、二人が呑んでいた席へと腰を下ろした。
「お、おい」
 秀一郎を止めようとするが、
「恭介君、座りましょうか」
 渡部さんの手が俺の肩へと置かれ、それに反応し肩を震わせてしまう。
 手がすぐに離され、俺はしまったと渡部さんの方へと顔を向ければ、その表情は曇っていて、気まずさを感じながら視線をそらして隣に腰を下ろした。

 隣同士のお蔭で顔を見なくてすむが、その分、距離が近い。俺は隣を意識しないように秀一郎へと顔を向ける。
「ここに一度来てみたくて、恭くんを連れてきたんです。ね」
「そうなんです。乍君に聞いたって言っていたけど」
 すると乍君は顔を顰め、アンタもかよと呟く。
「実は、私もなんですよ。悠馬君に聞いてから気になってました」
 ほのぼのとした雰囲気の中、乍君の眉間のしわが更に深さを増す。この雰囲気が苦手なのだろうな。
 俺は逆にこの雰囲気が好きだ。つい、口元が綻んでしまう。
「よかった」
 と、呟く声に、俺は思わず渡部さんの方へと視線を向けてしまう。
「恭介君が笑ってくれて」
 ふわりと、それでいて特別なほどに甘い微笑を向けられた。
 その表情に、全身の血液が湧き上がるかのように、俺の体がカッと熱くなる。
 もう限界だ。
 バンと大きな音をたててテーブルを叩き立ち上がると、その場所から逃げたすように出口へと向かう。
 背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえたけれど、振り返らずにその場を後にした。

 街の喧騒ですら耳に入らずただ無心に人の流れにそって歩く。
 渡部さんの前から逃げ出した。
 俺の頭の中は渦を巻いたようにかき回され、ごちゃごちゃとしている。
「俺……」
 あの微笑を向けられた瞬間、ぎりぎり押さえられていた気持ちが一気に溢れでてしまい、あのような態度を取ってしまった。
 突然切れた俺に、三人とも驚いた事だろう。
 渡部さんには呆れられたかもしれない。前の事もあるから。
「馬鹿だな、俺は」
 好きな人に嫌われるような態度をとるなんて。
 急に喪失感に襲われ、しゃがみ込みそうになった。だが、ふわりとお酒の匂いがして後ろから肩を掴まれた。
 ふりむくと、そこには荒い息を吐く渡部さんの姿がある。
「渡部、さん」
 驚く俺に、
「恭介君、やっと捕まえました」
 と、俺の目を真っ直ぐと見つめる視線とぶつかり合う。
 たまらなくて視線を外そうと俯きかけたが、長い指が俺の顎を掴んだ。
「私の事を見るのも、嫌ですか?」
 その言葉が心に突き刺さる。切ないその声に、俺は自分の気持ちに耐え切れなくなって、駄目だと思った時には既に涙を流していた。
「すみません、泣くつもりなんて、なかった、のに……ッ」
 はらはらと流れおちる涙を、渡部さんの指がすくいとる。
「恭介君」
 渡部さんは俺を引き寄せ抱きしめる。その包容力のあるその腕に抱かれて瞳を閉じた。

 暖かくて心地よい腕の中に居たら、気持ちが落ち着いた。
「ありがとうございました」
 身体を離して頭を下げれば、
「いいえ」
 と、渡部さんがいつものように暖かい笑みを浮かべていて、あぁ、俺はやっぱりこの人が好きだと確信する。
「渡部さん、貴方にお話したいことがあります」
「わかりました。それならば、私の家に来ませんか? 久遠は優君の家でお泊りなので、ゆっくり話をしましょう」
「はい」
 渡部さんの手が背中に触れ、行きましょうと共に歩き出す。
 途中でタクシーをひろい、車内に乗り込むと渡部さんが運転手に行先を告げた。