喫茶店のオーナーと甘党の彼

甘党な男達と先輩後輩

 信崎のつけた香水が香る度に大池は複雑な気分となる。
 ダージリンティの香りのする香水はまだ江藤が共に働いている時につかっていたものだ。
 たまに香るそれに、江藤に色々と教えて貰った事を思いだして物思いにふけてしまいそうになる。
 だが、愛しい人のにおいを他人がつけている事には腹が立つのだ。
 これも全て信崎が悪い。
 折角、江藤が一度家に帰るだろうと早めに起こして朝食まで作ってくれたのに、面倒だからこのままで行くとか言い出したのだ。
 背が高くてゴツイ体つきをした信崎には大池の物も江藤の物も小さすぎて着れない。
 だからせめて煙草臭さだけでも誤魔化そうと、江藤が問答無用に信崎に香水をつけた訳だ。
「大池さん、なんだか信崎さんから良いにおいが……」
 普段は煙草の匂いしかしない男から香水の匂いがするものだからだろうか。
 信崎から真野に嫌われている事を聞いていたので、まさか気にするとは思わなかったのだ。
「昨日と同じスーツだし。彼女の家にお泊りしたんですかね」
 誰しも思う事は同じか、信崎は既に他の人にも同じことを言われ、しかも否定も肯定もしないものだから余計からかわれることになるのだ。
 ふ、と真野へと視線を向ければ、苦々しい表情を浮かべてパソコンの画面を睨みつけていた。
 もしかして悪い印象でも感じたのだろうか。それでなくとも嫌われているようだと信崎が言っていたのだ。誤解をといてやらないといけない。
 そう思い口を開きかけたが仕事をしはじめてしまい、集中している所を邪魔したくはないので話しかけるのをやめる。
 休憩時間に話しかければいいのだと思っていたら、なんだかんだで忙しくなってしまい話をする機会がなかった。

 外回りから戻った頃には八時を過ぎていて社内には数人しか残っておらず、その中に信崎と真野の姿もあった。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
 ある程度まで仕事をしていたら社内には三人だけになっていた。
「なぁ、帰りに飯でも食わねぇ?」
 と信崎に声を掛けられて、いい機会だと思いその誘いに大池はのったが真野は用事があるから帰ると言う。
「俺、奢っちゃうよ?」
 だから行こうよと真野に手を伸ばす信崎だが、
「すみません、外せない用事なので」
 その手を避けるように体を反らして目を合わせようともせずに断りを入れる。
 流石に目を合わせないのは失礼だろうと思いそれを咎めるように強い口調で名を呼べば、怖がらせてしまったかビクッと肩を揺らして泣きそうな顔をして大池を見た。
 重苦しい雰囲気の中、
「そっか、じゃぁしょうがない。また今度な」
 気を付けて帰れよと何事もなかったかのように明るい声で言う。
「はい。失礼します」
 大池にすら目を合わせる事無くそそくさと帰っていく真野に、信崎から重いため息がはきだされる。
「信崎さん……」
「悪い大池、誘っておいてなんだけど飯はまた今度で」
 江藤も誘って行こうなとニカっと笑い、一服してから帰るからと煙草を手に持つ。
 あからさまに避けるような態度をとられて、平気で居られるはずもない。
 一人になりたい。そう思う気持ちを汲み取る。
「わかりました。ではお先に失礼します」
「おうっ、また明日な」
 手を上げて喫煙室へと向かう信崎を見送り、大池は会社を後にした。

 喫茶店の灯りがまだついている。
 とっくに閉店時間は過ぎているのでどうしたのだろうと思いながらドアを開ければ、カウンターの席に座る江藤と真野の姿がある。
「大池、お帰り」
 そう江藤が声を掛け、真野が気まずそうに目を反らした。
「……用事があるんじゃなかったのか」
 と真野の傍へと立てば、
「信崎さんとご飯いかなかったんですね」
 そう言うと俯いて指を組む。
 重苦しい空気の中、
「あのさ、ひとまずパンでも食べない?」
 お腹すいたでしょうと苺ジャムとカスタードクリームのパンを出してくれた。
 目の前の甘くておいしそうなパンに重苦しい空気はほんわかとしたモノへとかわる。
「園枝が子供らと一緒にイチゴ狩りへ行ったんだって」
 数日前に江藤に連れられて彼の兄妹とその家族と会った。
 皆とても仲良くて、大池に弟の事をよろしく頼むと挨拶してくれた。
 そして園枝は前に江藤の恋人かと勘違いした美しい女性だ。
「そうでしたか。では、頂きます」
「さ、真野君も食べて」
「はい。頂きます」
 カタチを残したままの苺ジャムとカスタードクリームが良く合う。
「んん……、おいしいです」
 一口食べて、相好を崩す。
 そんな大池をぽかんとした表情で真野が見ているが、江藤の作ったパンの前では気になどしていられない。
「大池は大の甘党なんだよね」
 パンを夢中で食べる大池を、江藤は微笑みながら見ている。
「そうだったんですね。大池さんも甘党なんだ」
「あぁ。それに、江藤先輩が作ったものは食べる度に幸せな気持ちになるんだ」
 好きな人が作ってくれたものだから。
「うわぁ、照れるなぁ」
 心から嬉しそうに笑う江藤に、真野が二人を見ながら素敵ですねと言い。
「俺も、あの人とそう思えるような関係になれたらな……」
 と、食べかけのパンを皿の上へと置いた。
 一瞬、何の事だか解らずに真野を見れば、江藤は気が付いたようで。
「もしかして……、信崎、と?」
 確認するかのように尋ねる江藤に、真野が頷いて肯定する。
「え、それって、嫌っている訳でなくて」
 見る見るうちに顔を赤く染めていく真野に、大池と江藤はそうだったのかと脱力する。
「はい。でも、はじめは全然興味なかったんです」
 信崎は仕事でミスしてもあまり怒ったりしない。それを真野は人の顔色をうかがうだけで何も言えない上司なのだと思っていたうようだが、反省のない部下に対して信崎が怒鳴ったのを見て、その時に気が付いたそうだ。ちゃんと反省している人には怒らないだけだという事を。
「それからはもう、好きになっていく一方で。でも、信崎さんはノンケですよね。だから近寄らないようにって」
 いっそうのこと嫌われてしまえば良いと、あからさまな態度をとっているのだと真野は辛そうに笑う。
「真野君、あのね」
「想いを伝えた方が良いとか、言わないでくださいね。告った俺はスッキリするかもしれませんが、告られた方は困るだけですから」
 何かを伝えたそうな江藤だが、真野はそれに耳を貸そうとせずに自分の想いを口にして、これで話はおしまいとばかりに珈琲を口にする。
 確かにそれも解らなくはない。惚れた相手を困らせるくらいなら胸の奥にしまっておきたいという気持ち。
 だが、江藤は違うよと首を振る。
「信崎はそんな男じゃない」
 告白を受け止めて自分の想いをきちんと答えてくれる男だよと真野の手を握りしめる。
「ゲイであると告白しても、だから何って笑ってさ、ずっと友達でいてくれた。真野君の気持ち、真剣に聞いてきちんと答えを出してくれる」
 それは江藤だから言える言葉であり、大池は真野にその言葉が届くと良いと思いながら見守る。
 だが固く閉じてしまっている蓋をあけることは出来なかったようで。
「江藤さん、ごめんなさい。でも俺は……」
 告白はしませんと席を立ち、御馳走様でしたと頭を下げて喫茶店を出て行った。

 次の日、真野は何事もなかったかのように仕事をしていた。
 信崎との関係も今まで通りで、仕事の話はするがぎこちないままだ。 
 大池はただ見守るだけしかできず、日々が過ぎていく。
 だが、あれから一週間後の事だった。真野が真っ赤に目を腫らして会社にやってきたのは。